一般社団法人 もっと自分の町を知ろう

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① 孫文の大アジア主義講演の地(神戸市中央区)

 神戸は、孫文が亡命中を含め何度も訪れたゆかりの地であり、垂水区の舞子公園内には日本で唯一の「孫文記念館」(移情閣)もあり、市内には孫文の足跡が辿れる場所も多い。
 その中の一つ、今から100年近く前、孫文が聴衆約3000名を前にして「大アジア主義」の講演を行ったという旧神戸高等女学校跡地を訪ねてみた。

 そこは現在、兵庫県庁1号館が立っており、外壁にそれを記念する石碑がはめ込まれ、看板も立っていた。彼の地で孫文が講演したのは、1924年11月28日、孫文58歳、18回目の来日の時である。

 このとき孫文は、有名な演説を残している。
 「ここ数百年、ヨーロッパの圧迫により衰退の極にあったアジアにも、30年ほど前から復興の機運が芽生えてきた。日本が不平等条約の撤廃に成功し、日露戦争に勝利するなどしてアジアの諸民族の独立運動を鼓舞してきたからである。

 ヨーロッパの文化は武力による覇道だが、東洋の文化は仁義道徳に基づく王道である。
 ヨーロッパの文化は学ばなければならないが、それは他民族を抑圧するためではなく自衛のためである。東の日本と西のトルコは、ヨーロッパの武力の文化を学んで強力となった。大アジア主義の課題とは、アジアの諸民族が団結してどのようにしたら強大な欧州諸民族の圧迫に抵抗できるかということである。ロシアのように西方にも王道を主張する民族が現れている。大アジア主義は、王道を基礎とし、世界諸民族の平等な関係をうちたてることをめざす。

 日本民族は、覇道の文化を習得しかつ王道の文化の本質も備えている。では、世界の文化の前途に対して西方覇道の鷹犬(手先)となるのか、それとも東方王道の千城(守り手)となるのか、日本国民は慎重に考え、選択していただきたい。」

 この演説がなされた、1924年は1月に第1次国共合作を成立させた年で、9月に北方軍閥討伐の兵を挙げた年でもある。ロシア革命後のソビエトに対する期待を込めた甘い幻想も垣間見えるが、孫文の眼には軍部が台頭しつつある日本がどのように映っていたのだろうか?
 この時、既にがんに侵されていた孫文はこの演説から3か月余り後の1925年3月、「革命未だならず」の言葉を残し亡くなった。

 永井宏治

兵庫県庁1号館入口付近
記念の石碑がはめ込まれている
当時の写真を焼き付けた案内板

ある日突然、見慣れた景色の中から、懐かしい物が消えてしまった。そんな経験をされた方は多いと思います。世の事情と言ってしまえばそれまでですが、せめて、どうにかならなかったのか、何か遺せる手段はあったのでは・・・という後悔の念だけは残ります。 個人の力では限界がある。故に、「もっと自分の町を知ろう」という共同体を創設し、有形無形の財産を次世代につなげる。これが、一般社団法人「もっと自分の町を知ろう」という団体を設立する目的です。

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