90.「日台抜きで配られたブリッジのカード」
9月23日から25日まで、中国(中華人民共和国)の習近平国家主席が国賓としてアメリカを訪問した。その歓迎ぶりに、なりふり構わぬビジネスの魂胆が丸見えだった。習近平氏の訪米前、高市首相がアメリカを訪問したが、そっけないを通り越し、虚しさを感じるものだった。こういった対応の乖離は戦後80年余、いつものことだけに、期待も何もしてはいなかった。だが、しかし、トランプ大統領、習近平国家主席の談話内容が報道されると、耳を疑いたくなるような、首をかしげる内容だった。
それは、アメリカと中国とが、ともに日本帝国主義と戦ったという事だった。中国(中華人民共和国)が建国されたのは、昭和24年(1949)である。すでに、日本の連合国軍を相手にした戦争は終わっている。どうやって、中国は日本と戦争したのだろうか。昭和25年に始まった朝鮮戦争に、日本は参戦もしていないが。
考えられるのは、昭和47年(1972)9月29日、日中共同声明による国交樹立によって、中華民国が持っていた権利を継承したからと言っているのだろう。昭和53年(1978)8月12日、日中平和条約が締結されたが、どうにも歴史認識がかみ合わない。第一、中華民国を継承したのならば、中国はアジアの敵ということになる。インド独立の闘志チャンドラ・ボースは中華民国の蒋介石を「アジアの敵」と呼んでいたからだ。チャンドラ・ボースも蒋介石も故人なので、「死人に口なし」で、なんでも発言して良いとは限らないはずだが。
そんな歴史認識の矛盾を反芻している時に思いだしたのが、日本と中華民国の戦い、いわゆる「日中戦争」での秘話だ。その話については次の書評で概要を理解していただきたい。
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『人間の条件 1942』劉震雲著、劉燕子訳、集広舎
・民の真実は権力者によって葬られる
不思議なことに、本書には、同一内容の小説、映画の脚本が収められている。訝りながらも読了したのだが、理解が及ばない「空白」があった。それは、この作品が抱える問題が複雑、多岐にわたっているからだ。
舞台は1942年の中国大陸の河南省。日本では昭和17年にあたる。当時、日本と中国は戦闘状態だった。中国国民党からいえば日本は「侵略者」。日本からいえば中国国民党はアジアの治安を乱した欧米の走狗。国民党トップの蒋介石は、米国、英国、ソ連などの連合国軍の一員でもあった。
事件は中国国民党支配下の河南省で起きた。大旱魃で3000万人が難民となり、300万人が餓死したという。直ちに難民救済を進めるべきだが、蒋介石は連合国軍における地位保全が最重要課題だった。日本軍との戦闘において戦功を挙げることが急務。国際世論に自国の難民救済を要請することは、面子が許さない。3000万人の難民、300万人の餓死者という事実は、蒋介石の思考が「無かった」こととして処理した。逆に、蒋介石の忠実な部下は軍費調達のため、過酷な徴税を河南省に課すのだった。
しかし、蒋介石が「無かった」ことにした難民は、日本軍が放出した救援物資によって救われた。「貨幣に色(善悪)はついていない」といって世間は揶揄するが、餓死寸前の難民にとって、食糧の色の識別は不可能。売国奴と罵られようが、危機を救ってくれるものが「善」である。敵対する日本軍が中国民衆を救援したという事実は、本書で初めて知った。従前、日本軍は中国を蹂躙した「侵略者」と教えられてきた。それだけに、驚きだった。
驚愕するのは、難民の実態である。すでに、樹皮、雑草の類までをも食べつくしていた難民は、娘や若い妻を娼妓として人買いに売り渡す。それも、わずかな穀物と引き換えにである。売り渡す肉親を持たない難民は餓死し、野犬の御馳走になるだけ。大旱魃は1942年だけではない。341ページから347ページにわたって旱魃による悲劇がズラリと並んでいる。その悲劇の陰には、蒋介石夫妻の喜劇ともいうべき飽食が彩を添えているのだ。
冒頭、小説と脚本の二部構成になっていると述べた。その重複の理由については「訳者あとがき」に詳しい。解説を兼ねる一文からは、想像を超えた事実が判明する。台湾に逃亡した蒋介石。その後をうけ、毛沢東の共産党軍が政権を握った。その施政において、河南省の難民に劣らぬ、いや、それ以上の餓死者が発生していたというのだ。読了後、頭を悩ます「空白」の正体は、為政者が「無かったこと」として歴史の襞に押し込めた「事実」であり、民を顧みる事の無い「傲慢」だった。この「空白」には、主義主張、宗教すらも割り込む隙がない。本書が私たちに示唆する問題は複雑多岐と述べたが、人間とは何ぞや、人間の条件とは何ぞや。次々と問いかけてくるからだ。
言論統制下、真実は小説や映画でしか表現できない。状況によっては曖昧な表現も致し方ない。なぜ、本書が二部構成なのか。その隠れた意図を、是非、掴んで欲しい。(終)
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この作品が表に出てきた背景には、中国国民党がいかに過酷な治世を敷いていたかを喧伝するために作られた。ところが、その中国国民党の失政を補ったのが、日本軍だった。面白いことに、その事実が述べられている。
今回の米中会談のように、日本の帝国主義に対し、アメリカと中国が共に戦ったというのであれば、蒋介石による失策も継承するということになる。更に遡れば、満洲族政権の清朝を倒し、漢民族の独立を支援し、中華民国建国を成し遂げた日本の功績も認知するということである。中華民国建国後、日本を訪れた革命の父、国父である孫文は演説で「革命成就は日本人のおかげ。特に、九州人のおかげ」と演説をした。当時の新聞記事にも掲載されている事実だ。
「井戸の水を飲むときは、その井戸を掘った人のことを忘れてはならない」と田中角栄首相(当時)の英断を中国は称賛した。そのことに、多くの日本人は礼節の国として中国を見ていた。しかし、何やら、金満大国アメリカの模倣に走り、余裕を失っている。
さて、今回のトランプ大統領と習近平主席との会談は、コントラクト・ブリッジで勝負に出たのだろうか。さすれば、日本と台湾も加わらねば面白みに欠けるのでは?














