81.「捕鯨は『ほげる』」
「なんで、わからんとですか!」
「古文書は勢いで読むとです。勢いで!」
宮崎克則先生のドスの効いた声を思い出す。
8月5日(水)の夕方、(公財)福岡アジア都市研究所主催の講演会に参加した。「秀吉がつくり、黒田藩が育てた都市のかたち」としての公開講座だが、講師は宮崎克則先生(西南学院大学教授)である。
かつて私は、西南学院大学・社会人講座で宮崎先生の古文書講座を受講した。社会人相手の講座とはいえ、お手柔らかに、とはいかなかった。しかし、そこは社会経験豊富な受講生だけに、宮崎先生の「なんで、わからんとですか!」には、「わからんけん勉強に来ようとたい」と、受講生の爺様がつぶやく。くすくす笑いが起きる。これが学部の現役生であれば、恐れをなして無言で下を向くしかないそうだ。
古文書講座といっても、江戸時代の長崎平戸や松浦の鯨取絵巻の解説もあった。古文書の基礎を習い、そこから鯨取絵巻から当時の状況を読み取る。とはいえ、古文書には書き手のクセ、専門用語、方言なども混じる。ゆえに、基本を習っても、応用には至らない。そこで、「勢いで読むとです。勢いで!」になる。勢いとは、想像力を働かせるという意味も含んでいる。
史料である彩色された鯨取絵巻は、微細な箇所にまで注意を向けると実に面白い。当時の人々の息遣いまで伝わってくる絵筆に感心しきりだった。この鯨取絵巻については私が西日本新聞に寄稿した書評から現場の臨場感を味わっていただきたい。
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『鯨取りの社会史』森弘子、宮崎克則著、花乱社 平成28年(2016)6月26日付 西日本新聞掲載
表題脇の「シーボルトや江戸の学者たちが見た日本捕鯨」の文字に惹かれた。古今東西の学者たちは、捕鯨を<どのように>見ていたのだろうか。
本書の特徴は、『勇魚取絵詞(いさなとりえことば)』などの絵巻をもとに捕鯨が解説されているところにある。口絵絵図からは、地域が一体となって捕鯨を支えていたことが窺える。皮を剥ぎ、肉を切り分け、油を搾り、骨を砕く。住民総出の鯨の解体作業は圧巻で「鯨一頭七浦潤す」の言葉通り、捕鯨は日本人にとっての一大産業だった。
特に、口絵図「納屋場」は、江戸時代の西海捕鯨を具体的に知る上での重要な1枚。これは『小児の弄鯨一件の巻(しょうじのもてあそびくじらいっけんのまき)』に納められているが、捕鯨を見物した剣術指南・木崎攸軒(きさきゆうけん)の情熱から誕生した。後世に捕鯨の事実を伝えたいという思いからだった。
第四章には文人としても著名な平戸藩主の松浦静山、煕(ひろむ)父子が、<なぜ>当代一流の捕鯨絵巻を遺しえたかについて述べられる。藩の潤沢な収益源は捕鯨だが、藩主の出版意欲と捕鯨業者との権益が結びついた結果だった。絵巻から説かれる裏事情に感嘆の声をあげた。
第五章からは儒学者大槻清準が著した『鯨史稿』成立について。この絵巻は日本・中国の文書、蘭書を引用し、自身の見聞を加えたもので、鯨の名称、種類、骨格、内臓など、歴史的、解剖学的知見も加えて構成された近世捕鯨の集大成となっている。
大槻清準が捕鯨の調査に取り組んだのは、親族で蘭学者の大槻玄沢の意向を受けてだった。薬効成分の高い一角鯨の秘密を玄沢が知りたかったからだが、結果、清準が遺した絵巻は現代に伝わる貴重な記録となった。
本書は文字の無い捕鯨絵巻を「読んだ」研究書である。背景を理解するため、著者がどれほどの関連資料を読み込んだか計り知れない。疑問や不明点は次から次にわき起こったことだろう。それを丹念に丁寧に解き明かした内容で、捕鯨絵巻を遺した先人たちも、わが意を得たりと、きっと、絶賛するに違いない。 (終)
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この西海捕鯨の一書を読むと、日本人の捕鯨に対する思いが並大抵のものではないことが伝わってくる。骨の一片、髭の一本に至るまで、余すところなく使い切る日本の捕鯨である。翻って、英米の捕鯨船の乱雑なことには呆れてしまう。捕まえた鯨から油を抜きとる。後は、惜しげもなく海に捨てる。乱獲の末、鯨を求めて英米の捕鯨船が太平洋に乗り出してくる。この捕鯨船が、幕末に日本近海に現れる。この捕鯨船に日本の沿岸漁民たちは水、野菜、米をタバコなどと物々交換する。古い文献を読むと、九州北岸にも油を抜き取った鯨が海を漂流し、それを引き揚げたという記録も残っている。これにはお宝が流れ着いたと人々は大喜びだったろう。
鯨ではないが、海獣のラッコもその毛皮を求めてロシア船が日本近海に現れた。ラッコの毛皮は手触りが絹のように滑らかで密度が詰まっているので最高級の毛皮だった。ヨーロッパのみならず、清国(満洲族政権の中国)の皇帝たちへの献上品としても価値があった。おかげで、ラッコは絶滅危惧種になったのだが、人間の欲望のすさまじさの前に、自然界は何も抵抗はできなかった。
さて、宮崎先生の話だが、今回は筑前黒田家の居城である福岡城を中心にした地図の解説だった。地図は四畳半ほどもあり、広げて俯瞰するものだった。東の方向には太陽が2つ描かれている。冬至と夏至の方角を示している。作業として、福岡城の堀や河川、海岸線を色鉛筆で塗ることで、街区の大枠を知るというものだった。
福岡市といえば、2016年に博多駅前の地下鉄工事で大穴を開けるという大失敗を世界に広めた。長さ30メートル、幅27メートル、深さ15メートルという大穴だった。古地図で確認すると、脆弱な地盤にトンネルを掘っていたことがわかる。
古き博多弁では、穴が開くことを「ほげる」という。宮崎先生の古地図の話を聞きながら、社会人講座での捕鯨絵巻を思い出した。捕鯨は「ほげ(い)る」か「ホエール」か。話を聞きながら、語呂合わせを考える、かつての愚かな受講生でした。














