2026年4周年記念講座『伊藤野枝と代準介』矢野寛治先生・浦辺登会長 対談要旨
【対談要旨】
1 この本が問い直したかったこと
浦辺会長:先生の『伊藤野枝と代準介』を読むと、伊藤野枝の伝記であると同時に、これまで歴史の陰に置かれてきた代準介を世に出す本だと感じます。執筆の出発点はどこにあったのでしょうか。
矢野先生:一番書きたかったのは、歴史を右か左かだけで切ってはいけないということです。伊藤野枝や大杉栄は左、頭山満やその周辺は右だと決めつけると、実際に人と人が助け合っていた姿が見えなくなる。代準介は頭山満を深く敬いながら、野枝や大杉にも心を寄せました。思想の看板より、困っている人間を先に見る人だったのです。
2 貧しい少女の才能を見抜いた代準介
浦辺会長:野枝は、今宿の貧しい家に生まれながら高等女学校へ進みます。当時としては、なかなかできないことですね。
矢野先生:そこに代準介の存在があります。親族の縁で野枝が長崎へ移ったとき、代はこの子の頭のよさを見抜き、学ぶ機会を支えました。野枝は負けん気が強く、自分には力があるのに、裕福な家の娘だけが学べることへの悔しさを抱えていた。代は、その悔しさをつぶさず、伸びる方向へ持っていったのだと思います。東京の研究者が野枝の才能だけを語り、誰が学費や生活を支えたのかに触れないのは残念です。
浦辺会長:つまり、野枝の思想や行動の原点には、本人の資質だけでなく、代準介が教育の道を開いた事実があるわけですね。
矢野先生:そうです。代は後になっても、野枝や大杉が金に困ると、人を介して支援につなげています。野枝の父親と間違えられるほど、二人の間には深い結びつきがありました。野枝が世に出た物語から代準介を外すと、大事な土台が抜け落ちてしまいます。
3 野枝を聖女にも悪女にもしない
浦辺会長:先生は野枝を高く評価する一方で、性格の激しさや自己中心的な面も率直に書いていますね。
矢野先生:私は人物をきれいに飾りたくないんです。野枝は非常に頭がよく、行動力がありましたが、貧しさの中で育った悔しさ、ルサンチマンも強かった。自分を助けてくれた人への礼や恩返しが十分でなく、誤解され、離れていく人もいたと思います。しかし、その欠点まで含めて野枝です。聖女か悪女かの二択では、人間は分かりません。
浦辺会長:大杉栄についても、女性関係のだらしなさだけで否定するのではない、と。
矢野先生:ええ。大杉は確かに私生活では問題の多い人ですが、労働者を救いたいという思いを持ち、大きな仕事もしました。人間は、立派な仕事をしたから私生活まで清廉潔白とは限らない。代準介も、大杉や野枝の欠点を承知しながら、人として見捨てなかった。そこが大きいのです。
4 右と左を越えていた明治人の義
浦辺会長:代準介が敬愛した頭山満と、無政府主義者の大杉栄は、正反対に見えます。それでも交流や支援が成り立ったのはなぜでしょう。
矢野先生:国家や天皇をどう考えるかでは違います。しかし頭山満はアジアの弱い民族を救いたい、野枝は虐げられた女性を救いたい、大杉は労働者を救いたいと考えた。弱い者の側に立つという根は同じです。昔の人には、右か左かより先に「義」がありました。代準介は、その両方をつなげられる人でした。
浦辺会長:本書から見えてくる最大のポイントは、思想の分類ではなく、人間同士のつながりを見ることですね。
矢野先生:そのとおりです。代は頭山満の身内に近い立場でありながら、野枝や大杉に同情し、水平社の松本治一郎ともつながった。右でも左でも中間でもない。困っている人がいれば動く。私は、明治の人物にはそういう大きさがあったと思っています。
5 甘粕事件後に示された代準介の覚悟
浦辺会長:大正12年の甘粕事件後、代準介が果たした役割は、本書の中でも非常に重い部分ですね。
矢野先生:野枝と大杉が殺された後、代は東京へ出て、警察や関係先に何度も頭を下げ、遺体を引き取り、火葬の手配をしました。震災直後で交通も寸断され、幼い子どもたちを連れて福岡へ戻るだけでも大変です。しかも二人は「国賊」と呼ばれ、世間には殺されて当然だという空気さえあった。その針のむしろの中で、代は何も弁解せず、葬送までやり遂げました。
浦辺会長:葬儀にも反対があったのですね。
矢野先生:ええ。そこで支えた一人が松本治一郎です。思想や立場が違っても、死者を弔い、残された子どもを守る。代準介が生涯かけて示したのは、まさにその人間としての責任でした。私はここに、この本の一番大切なところがあると思います。
6 小説や通説を、史料で確かめ直す
浦辺会長:先生は、これまでの小説や映画で描かれた人物像にも疑問を呈しています。調査では何を大切にされたのでしょうか。
矢野先生:小説は小説です。瀬戸内寂聴さんの作品には、代準介の娘・千代子と、野枝の最初の夫である辻潤が不倫関係にあったかのような記述があり、それが映画にも引き継がれました。しかし親族が知る千代子は、そのような人物ではありませんし、当時は幼い子供を抱えて福岡にいましたのでありえない話です。実名で描かれたため、親族としては非常に忸怩たる思いがありました。
浦辺会長:その件について、寂聴さんご本人にも申し入れをされたのですね。
矢野先生:ええ。後日お会いして、事実と異なるのではないかとお尋ねしました。最後は「親族にはかないません」という言葉で終わりました。はっきりした謝罪という形ではありませんでしたが、私は一つの詫びとして受け取りました。すでに小説や映画として広く知られた話を、後からすべて元へ戻すことはできません。だからこそ、フィクションと史実を分けて考える必要があるのです。
矢野先生:そこで私は、退職後に図書館へ通い、手紙、日記、家に残された記録を一つずつ突き合わせました。資料の一部だけを切り取り、間を省くと、突然知らない人から金を借りたような話になってしまう。誰が紹介し、誰が橋渡しをしたかまで調べて、初めて人間関係が見えてきます。
浦辺会長:代準介が残した記録そのものが、執筆の大きな土台になったのですね。
矢野先生:そうです。代が家族に残した記録を読んで、「これは書かないかん」と思いました。インターネットの情報を写すだけでは歴史になりません。現場へ行き、古い資料をめくり、裏を取る。そうして、消されていた代準介の働きを野枝の人生の中へ戻したのです。
7 会場からの質問
今村太多志氏:野枝の生き方は力強い一方、母として残された子どもに何をもたらしたのかも考えさせられます。長男の辻まことが抱えたものを、先生はどう見ていますか。
矢野先生:私は、まことには「母に捨てられた」という感覚が長く残ったのではないかと思っています。野枝が大杉のもとへ走ったとき、幼いまことは辻潤のもとに残された。最も母を求める時期の体験は、本人の中から簡単には消えません。野枝の自由な生き方を称賛するだけでなく、その選択によって傷ついた子どもの側も見なければならないと思います。
浦辺会長:代準介を通して見ることで、野枝の功績だけでなく、支えた人、残された家族、時代の冷たい視線まで見えてきますね。
矢野先生:そこがこの本の結論です。歴史上の人物を英雄や悪人に決めつけず、支えた人の名前を取り戻し、欠点も苦しみも含めて人間を丸ごと見る。伊藤野枝の人生には代準介がいた。その事実を知れば、野枝も大杉も、頭山満も、右と左の記号ではなく、生身の人間として見えてくるのです。