・掘り下げると、まだまだ、事実が出てくるのではと思う
本書は田中清玄(1906~1993)という自称「右翼」の自伝である。その田中が1991年3月から93年1月までに口述したものを大須賀瑞夫が自伝としてまとめたもの。全5章、390頁弱に田中清玄の履歴、「左翼」から転向した後の事々が綴られている。
この自伝の中で、不満を感じる箇所がある。中国共産党の幹部であり、改革開放政策を進めた鄧小平との親交の深さを語る田中だが、1989年におきた民主化運動を求める学生たちを武力弾圧した「天安門事件」についての記述がないことだ。天安門事件は鄧小平による決断が決め手となって鎮圧されたが、この事件についての田中の感想が無い。これは、インタビュアーが意図的に削除したのか、田中自身が語らなかったのかは、不明。しかし、この天安門事件についての感想がないのは、自伝といえども汚点ではないだろうか。
更に、361頁には、中国共産党によるチベット、ウイグルの民族浄化、弾圧についての言及が無いことだ。むしろ、自治共和国としてチベット、ウイグルは政治的にも経済的にも、自立していると田中は語っている。これは、中国共産党に対して田中自身の「忖度」が働いたのだろうか。それともインタビュアーの意図的な「創作」なのだろうか。
全体として、帯にあるように「日本でいちばん面白い人生を送った男」というコピー通りだが、見逃しがたい中国共産党の重大犯罪、人権蹂躙については看過できないだけに、全体を田中の口述どおりに受け止めるのは危険だと思った。
ただ、222頁に出てくるインドネシアのアラムシャ将軍の話は興味深い。インドネシアが数世紀にわたるオランダの植民地支配から独立した後、初代大統領のスカルノは容共主義者としてインドネシア国内での対立抗争を招いた。このアラムシャの身辺にいたのが、インドネシア独立運動を支援し、そして、国外追放された黒岩通ではないかとの推測を呼び起こすからだ。インドネシアの石油資源を利権として左右したのが岸信介、河野一郎、児玉誉士夫らだが、反して国益として活動していたのが岸の弟の佐藤栄作、田中角栄らだった。田中は岸信介、河野一郎、児玉誉士夫を徹底的に嫌ったが、佐藤栄作、田中角栄に対しては評価が180度異なる。ここは時代の中枢にいた人物の動きとして面白い。
田中は幕末維新の時代、孝明天皇の親任が篤かった会津藩の家老の家の出だ。「賊」の汚名を着せられたことの悔しさを胸に秘めながらも、そのプライドの高さ、強さを印象づける生涯だった。左翼活動家としての人生を反転させたのは、実母の自害だが、ここにも会津武士としての気概を感じる。
願わくば、巻末に主要人名録が欲しかった。年表があり、関連する人物紹介がありながら、人名録がないのは残念。いずれにしても、口述筆記したものだけに、読みやすい。しかしながら、時代背景、歴史を知らなければ、田中の人生を深くは理解できないだろう。
ちなみに、子息は現在、早稲田大学総長を務める田中愛治氏だけに、研究者によって更なる深掘りがなされても良いと考える。