一般社団法人 もっと自分の町を知ろう

浦辺登の書籍紹介

目 次

64.『ガネフォ60周年記念誌』ガネフォ会・水球チーム編
63.『江戸という幻景』渡辺京二著、弦書房
62.『GANEFO その周辺』宮澤正幸著、拓殖大学創立百年史編纂室
61.『カイザリンSAKURA』河合保弘著、つむぎ書房
60.
『欧州統合の政治史』児玉昌己著、芦書房
59.『藍のおもかげ』澁谷繁樹遺稿集、澁谷繁樹著、岡田哲也編、花乱社
58.
『今日も世界は迷走中』内藤陽介著、ワニブックス
57.月刊日本9月号掲載 『ドキュメンタリーの現在』 臼井賢一郎、吉崎健、神戸金史 石風社
56.
『デュオする名言、響き合うメッセージ』立元幸治著、福村出版
55.『現代ユーラシアの地政学 EU・中国関係とハンガリー』児玉昌己著、久留米大学法学部
54.『45年余の欧州政治研究を振り返って』児玉昌己著、久留米大学法学部
53.『儒学者 亀井南冥・ここが偉かった』早舩正夫著、花乱社
52.『ハマのドン』松原文枝著、集英社新書
51.『詩集 サラフィータ』前野りりえ 著、書肆侃侃房
『うどん屋おやじの冒険』語り・青木宣人、聞き手・宮原勝彦、集広舎
『中国はなぜ軍拡を続けるのか』阿南友亮著、新潮新書
㊽『幕末の奇跡』松尾龍之介著、弦書房
㊼『踏み絵とガリバー』松尾龍之介著、弦書房
㊻『老子・列子』訳者・奥平卓、大村益夫、経営思潮研究会
『絹と十字架』松尾龍之介著、弦書房
㊹『CIAスパイ養成官』山田敏弘著、新潮社
『世界を動かした日本の銀』磯田道史、近藤誠一、伊藤謙ほか著、祥伝社新書
㊷『天誅組の変』舟久保藍著、中公新書
『長崎蘭学の巨人』松尾龍之介著、弦書房
㊵『新・「NO」と言える日本』金文学著、高木書房
㊴『日本の軍事的欠点を敢えて示そう』江崎道朗 かや書房(月刊日本6月号掲載)
㊳『ステルス・ドラゴンの正体』宮崎正弘著、ワニブックス

㊲『なぜこれを知らないと日本の未来が見抜けないか』江崎道朗著、KADOKAWA
亀井昭陽と亀井塾』河村敬一著、花乱社
㉟『作戦術思考』小川清史著、ワニブックス
㉞『オンライン脳』川島隆太著、アスコム

㉝『スマホ脳』アンデシュ・ハンセン著、久山葉子訳、新潮新書
㉜『第三次世界大戦はもう始まっている』エマニュアル・トッド著、文春新書
㉛『陸・海・空 究極のブリーフィング』小川清史、伊藤俊幸、小野田治、桜林美佐、倉山満、江崎道朗 共著

㉚『ウイグル人と民族自決』サウト・モハメド、集広舎
㉙『ウイグル人という罪』清水ともみ、福島香織著、扶桑社
㉘『光陰の刃』西村健著、講談社文庫
㉗『負け戦でござる。』小野剛史著、花乱社
㉖『「明治十年丁丑公論」「痩我慢の説」』福澤諭吉著、講談社学術文庫
㉕『福翁自伝』福澤諭吉著、岩波文庫
㉔『連帯綾取り』三浦隆之著、海鳥社
㉓『管子』松本一男訳、経営思潮研究会
㉒『遥かなる宇佐海軍航空隊』今戸公徳著、元就出版
㉑『宇佐海軍航空隊始末記』今戸公徳著、光人社
⑳『維新の残り火・近代の原風景』山城滋著、弦書房
⑲『いのちの循環「森里海」の現場から』田中克監修、地球環境自然学講座編、花乱社
『ちいさきものの近代 Ⅰ』渡辺京二著、弦書房
⑰『天皇制と日本史』矢吹晋著、集広舎
⑯『インテリジェンスで読む日中戦争』山内千恵子 ワニブックス(「月刊日本11月号掲載)
⑮『大衆明治史 (上)建設期の明治』菊池寛著、ダイレクト出版
木村武雄の日中国交正常化 王道アジア主義者石原莞爾の魂』坪内隆彦著、望楠書房
⑬『振武館物語』白土悟、集広舎
⑪『大アジア』松岡正剛著、KADOKAWA
⑩『人は鹿より賢いのか』立元幸治 福村出版
⑨『人口から読む日本の歴史』鬼頭宏著、講談社学術文庫
⑧『データが示す福岡市の不都合な真実』 木下敏之著、梓書院
⑦『インテリジェンスで読む日中戦争』山内智恵子著、江崎道朗監修、ワニブックス
⑥『孫子・呉子・尉繚子・六韜・三略』訳者村山孚、経営思潮研究会
⑤『シルクロード』安部龍太郎著、潮出版社

④『日本人が知らない近現代史の虚妄』江崎道朗著、SB新書
③『漢民族に支配された中国の本質』三浦小太郎著、ハート出版
②『台湾を目覚めさせた男』木村健一郎著、梓書院
①『緒方竹虎と日本のインテリジェンス』江崎道朗著、PHP新書

64.『ガネフォ60周年記念誌』ガネフォ会・水球チーム編

・ガネフォを後世に伝え、現世に広めるために

 

本記念誌は、1963年(昭和38)11月10日から21日まで、インドネシア・ジャカルタで開催された新興国スポーツ大会(通称ガネフォ)に参加した水球チームの方々によってまとめられた記念誌。ガネフォには、51カ国、2700人余が参加する世界的なスポーツ大会だが、日本からは頭山立國団長(玄洋社・頭山満の直孫)をはじめ96名が参加した。結果、日本は金メダル3、銀メダル9,銅メダル9を獲得し、総合6位に入った。水球チームも健闘し、銀メダルを獲得している。

今回の記念誌には20名近くの方が寄稿され、当時の写真も含めて85頁余で構成されている。寄稿文のトップは衆議院議員・河野太郎氏(デジタル大臣)である。祖父の河野一郎(衆議院議員・1964年東京五輪担当大臣)の意向もガネフォにあったということが機縁。

今回の記念誌発行に先立ち、令和5年(2023)11月3日、東京・銀座で「ガネフォ会」と称しての会合が開かれた。毎年開催されていたがコロナ禍で中断。このこともあるが、惜しむらくは、往年の選手たちも80歳を過ぎ、なかには三途の川を渡った方もいる。今後、会を継続して開催できる余力も無いことから、今回の60周年をもって卒業となった。

ガネフォは、日本、アジア、世界のスポーツ史に記録されるべきスポーツの世界大会だが、当時の世界情勢から闇に葬られたスポーツ大会といえる。これほどの国際的なスポーツ大会でありながら、認知されないというのは後世の人々に対し、失礼というもの。そこに、ガネフォを主題に、一橋大学で博士号を取得した冨田幸祐氏(中京大学講師)がガネフォ会に参加された事は誠に喜ばしい。今後も継続して伝え、広めていきたいと考えている。

筆者は、2013年に『アジア独立と東京五輪』を上梓することで、歴史の流れに一本の杭を打ち込んだが、闇に封じられたガネフォを表に出したいとの希望からだった。それに反応されたのがガネフォ・水球チームの方々だった。これが機縁となり、筆者はガネフォ会に参加することとなった。
ガネフォについては、フランス帝国主義、イギリスの植民地主義、アメリカの覇権という背景から語らなければ近代オリンピックとガネフォの関係性、対立構造は理解できない。「スポーツは政治」とスカルノ大統領は言い切ったが、まさにその象徴がガネフォだ。そのガネフォの記録を日刊スポーツの記者であった宮澤正幸氏が拓殖大学100年誌に寄稿されていた。そのコピーをテレビマンユニオンの田中由美さんからいただいたが、そこには昭和7年(1932)の「五・一五事件」(犬養毅首相銃撃暗殺事件)の海軍将校(当時)の名前があった。このことも含め、このガネフォを後世に伝えたいと考える。

63『江戸という幻景』渡辺京二著、弦書房

新装版となった本書を読了した。250頁余、11の章で構成されるが、江戸時代が教科書で教えられる「士農工商」という厳格な身分制度ではなく、緩い関係で成り立っていたことを知る。

まずは、23頁の権藤成卿の『自治民範』を引き合いにする。他家の行事に招かれた娘が家を出る時に着飾って玄関を後にしようとした。それを、晴れ着は招かれた家で着替えろと咎める。他者の妬み、誹りを招かない為だと諭す。自由だから、と自己主張する現代と比較して、自由の限度をおのずから弁えていたのが江戸時代だった。

さらに、笑ってしまうのが27頁の狸を愛し、狸を飼って暮らす人の話。これは、巻末の解説で評論家の三浦小太郎氏も「新橋の狸先生」を真っ先に挙げていることからも分かる。自由を謳歌する鑑ではなかろうか。「天の命」と言われればそれまでだが、犬を愛した西郷隆盛にも通ずる。そして、自由となれば人権が必須だが、それは84頁に紹介されている。その自由と人権では、102頁からの結婚観、男女の結びつきが、実に自由奔放。「家」を継承することが江戸時代の規範だが、家風にそぐわないとなれば簡単に相互が納得の上で離縁。西洋の「契約」という法律など存在しなくとも社会が安定運営できる制度となっている。俗にいうところのバツ一、バツ二は当たりまえ。婚前交渉どころか、北欧のフリーセックス顔負けの社会が近代化前の日本だった。

100頁の「労働は労役ではない」の箇所では、日本と西洋の労働観念の差異が描かれて面白い。日本人は古くから労働と遊びを混在化していた。田植えでは、早乙女を男衆がカネや太鼓ではやし立て、歌の応酬を繰り広げる。西洋であれば、男衆も田植えを手伝えば「効率的」と考えるが・・・。現代日本でも長距離通勤を苦にもしないのは、通勤時間を「遊び」に変えてしまからだ。「実働8時間」という西洋の規則を導入したことが由来だが、西洋の労働者にとって8時間労働は大幅な労働時間短縮を勝ち取った結果である。

本書では、庶民だけではなく、奉行を務めた川路聖謨の日常を紹介する。これが実に爆笑ものであり、臭い。奉行として白洲において裁きをするが、その厳粛な場でオヤジギャグを発する。周囲の者は、たまったものではなかったはずだ。インターネットで知る川路聖謨からは想像を絶する「生態」を知る。この人物に親近感を抱かない人はいないだろう。更には、勝海舟の実父である勝小吉も紹介されるが、名目は武士でも、正味は町人の勝小吉だけに、子息の勝海舟よりも小吉に人気が集まるのも致し方ない。

江戸時代の封建的身分制度に大いなる反発を抱いたのが渋澤栄一。渋澤が出現する時代は、すでに幕藩制度が疲弊し、大いなる改革が必須の時だった。今、私たちが知る江戸時代はこの幕末の過渡期が拡大解釈されただけではないだろうか。欧米勢力の出現によって、西洋化した日本がどこか窮屈に感じるのも、日本人の体質と西洋の規範とが乖離しているからに他ならない。その差異を知る一助になるのが本書だ。寝転がって、読み進むと、なおさら、良い。

62『GANEFO その周辺』宮澤正幸著、拓殖大学創立百年史編纂室

・スポーツの歴史に意外な史実が

 

本書は、1963年(昭和38)11月にインドネシアのジャカルタで開催されたガネフォこと新興国スポーツ大会の記録。47カ国、2564名が参加した大会だけに「幻のオリンピック」とも呼ばれる。1964年(昭和39)の東京オリンピック開催にも大きな波紋を広げた。近代のスポーツ史を考える上で、記者、監督として参加した著者の記録は貴重。47カ国、2564名が参加した大会の記録だけに貴重。内容として「第四回アジア競技大会」「第一回新興国スポーツ大会」「第一回アジアGANEFO」の三部、約90頁で構成されている。

まず、このガネフォだが、第四回アジア大会での欧米の介入が発端となる。アジア大会にインドネシアが中華民国台湾、イスラエルに招請状を出さなかった。このことから、スポーツは公平でなければならないとするIOC(国際オリンピック委員会)が公式記録として認めないと牽制。これにインドネシアのスカルノ大統領が反発し、IOC、国連までをも脱退した。

そして、独自にソ連(現在のロシア)、中国(北京)の後ろ盾を得て、独自のスポーツ大会ガネフォを開催した。ここでIOCがガネフォに出場した選手には東京オリンピック出場資格は無いと宣言。東京オリンピック開催を控えた日本の体育協会、JOC(日本オリンピック委員会)は、ガネフォに選手団を送らなかった。しかし、アジアとの連帯を考える日本の政財界、有志は選手団を編成。ジャカルタへと乗り込んだ。インドネシア国民は、その日本の信義に大興奮したのだった。この選手団長を頭山満(玄洋社)の直孫である頭山立國氏、最高顧問に柳川宗城(元陸軍大尉、中野学校、インドネシア独立義勇軍教官)が就任して臨んだ。

翌年、東京ではアジア初のオリンピックが開催され。IOCを脱退していたインドネシア、ガネフォで問題となっていた北朝鮮も来日した。しかし、両国ともオリンピックには参加せずに帰国していった。以後、インドネシアでは政変によりスカルノ大統領が失脚。

評者は『アジア独立と東京五輪』において、このガネフォについて書き下ろした経緯があるので、本書に述べられる事々は手に取るように理解できた。しかしながら、ガネフォを初めて知る人には難しい。欧米のアジア侵略史、インドネシア独立戦争、インドネシア独立に至る歴史に関心が無い方にも、皆目、理解が及ばないだろう。ただ、本書の45頁には「五・一五事件秘史」という一文があり、これが実に驚きの内容だ。連合赤軍の重信房子、その娘の周辺との関係性などは、この昭和7年(1932)に起きた事件にまで遡らなければ理解は進まないからだ。

インドネシアのスカルノ大統領は「スポーツは政治」と言い切ったが、まさに、スポーツの陰に政治が顔を覗かせている。その意味でも、スポーツ史は近現代史の一部として読み通さねばならない。それを強く意識させる一書だった。

61.『カイザリンSAKURA』河合保弘著、つむぎ書房

・ファンタジー小説でありながら、内包する問題提起は大きい

まず、タイトルよりも女性コミックのような魚淵あかりさん作画の表紙に戸惑ってしまう。いったい、何なのだろう・・・。とりあえず、プロローグを読んでみるが、史実に従いながらもフィクションであるとの著者の断りがある。ならばとフィクションとして読み始めるが、これがなかなか、どうして、歴史小説のような作風。このようなスタイルでの小説形式に「面白い」と思う。芥川賞を受賞した黒田夏子さんの横書き小説『abさんご』にも似た軽い驚きも含んでの「面白い」だ。

ストーリーとしては歴史年表にも記載される第109代の後桜町天皇(1740~1813)の生涯をまとめたもの。全3章、各章を13話で構成しているので、少々肩の荷を下ろし、楽しんで読むことができる。それでいて水戸黄門こと水戸光圀が編纂を進めた『大日本史』から派生した後醍醐天皇を祖とする南朝を正統とする事と北朝との関係が述べられる。これは、小説とはいえスリリングだ。いや、フィクションだからこその問題提起か。朝廷と尾張(徳川家)はつながっているという記述も、『徳川幕府が恐れた尾張藩』(坪内隆彦著)で知っていたからこそ納得できるが、ここに著者の知識の深さを垣間見ることができる。皇室を守護するのは八咫烏である、長州毛利家と公家の鷹司家との金銭的関係などもそうだ。更には、竹内式部の名前も。幕末維新史に関心のある方にはフィクションといいながら、「そんな観点があったか・・・」と歴史を俯瞰する視点に気づかされるだろう。226ページの皇嗣についても「歴史に学ぶ」事と言える。

皇室は国の民の安寧を祈願するもの。現在の皇室と国民との関係性を考えると、この小説が内包する主張が見えてくる。歴史は勝者によって作られ、敗者の歴史は闇に封じ込められる。しかし、敗者の歴史にも真実が潜んでいる。この整合性のバランスが崩れるとき、一大転換点となり、いわゆる政変や革命となる。それはクーデターであったり、内部崩壊であったりするが、それを昔の人々は天変地異の現象に変化の兆しを見いだしていた。迷信として片付けるか、天の意思として受容するかは各人の立場、経験かもしれない。緊張感をもって意識を働かせるべきだろう。それが、今という時なのかもしれない。そのことを伝えたいという思いも、この作品には込められている。

『大日本史』から『日本外史』『弘道館記述義』へと変化し、正邪、黒白、善悪という二元論的思想が野火のように燃え広がったが、その動きを懸念していたのが朝廷ではなかったか。しかし、結果的に調和を旨とする皇室の意に反し、幕府は倒れるべくして倒れた。

「最後の女性天皇を巡るファンタジー」との副題が添えられる本書が意図するものは、大きい。皇室のありかた、皇室を戴く国の民としての在り方の再考を促すものだった。

60.『欧州統合の政治史』児玉昌己著、芦書房

・日本がEUから学ぶことは多い

 

本書はNHKラジオ第2放送で2011年1月から放送された「EU・ヨーロッパ統合の政治史―その成功と苦悩」のテキストを基にした一書。全13章、250ページで構成されている。

まず、日本人にとってのEUといえば、2020年のイギリスのEU離脱が記憶にあるだろう。イギリスがEUから離脱した後、日本経済にいかに影響するのか。連日、マスコミはその利害得失を報じていた。さらには、ギリシャの金融危機からEUの崩壊を予見する評論家、識者も多かった。しかしながら、現在、EUは存続している。どころか、ロシアのウクライナ侵攻の背後にEUを基盤とした軍事同盟の影すら意識しなければならない。その存在感を増すEUの成立の歴史を説いているのが本書だ。

EU加盟国の総人口は51000万人、GDPは15兆9850億ドル。このEUを一つの国家とみれば、あなどれない大国であることは一目瞭然。国連は安保理5大国の拒否権によって機能不全に陥っているが、EUはその成り立ちをみれば、欧州議会の結束の強さが窺える。一国だけの利害得失を是認しない。

さらに、小国の集まりである欧州では、集団での防衛力を結集しなければ大国のロシア(旧ソ連)の軍事的脅威に対抗できない歴史がある。154ページにロシアがEU加盟を打診し拒否された事実に、欧州が旧ソ連に受けた傷の深さが窺える。それを前提で、獅子身中の虫ともいえるドイツとの和解も成し遂げている。かつて、「勝者の愚行」と揶揄された第一次世界大戦でのベルサイユ条約の失敗を繰り返さない試みがなされている。国際連盟の機能不全からナチス・ドイツの勃興を許したが、その轍を踏まないための国際連合だった。しかし、その国連も機能不全であれば、欧州は欧州での経済、防衛の組織構築は必然だった。当然、小国であろうが、大国であろうが、国家主義者は存在する。それを超越しなければ、三度、欧州は戦場になるのだ。本書81ページの「ヨーロッパの制度にドイツを組み込めば、軍事的暴走を止められる」という記述は、ある意味、日米安保にも似ている。

欧州は、食糧、エネルギーなど、解決しなければ生きていけない問題が多々ある。その中で、世界各国に旧植民地という連邦を所持するイギリスとEUは基本的にスタンスが異なる。イギリスのEU離脱に、欧州に依存しなくても良い立ち位置にあるのが見えてくる。

EU成立の過程で、必然的に乗り越えなければならない葛藤がある。それが128ページに出ている第二次世界大戦でドイツに占領されたフランスの立場だ。ドイツとフランスの和解は簡単だが、個人史の積み上げ、個人が受けた傷は容易には消えない。これは日本にとって参考になりえる。今後、日本がEUとどう向き合うかも含めての参考書だ。

59.『藍のおもかげ』澁谷繁樹遺稿集、澁谷繁樹著、岡田哲也編、花乱社

・昔懐かしい、偏屈オヤジ、頑固オヤジに遭遇したような

本書は南日本新聞社の記者、編集委員を務めた澁谷繁樹(1952~2021)の遺稿集だが、三部、400頁弱で構成されている。数多、世に新聞記者は存在しても、遺稿集が出るのは人徳、人柄というものか。

まず、第一部の「薩摩義士ひとり語り 宝暦治水二百五十年」は圧巻だった。薩摩藩が徳川幕府から命じられた揖斐、長良、木曽の三つの川の治水工事を請け、借金に次ぐ借金の中、外様大名の中でも大藩という地位、家格を保つために工事を冠遂する話。史実に基づき、それでいて時代小説のようで、エッセイのようで。読み手を全く飽きさせない。この件を読みながら、明治時代に広島県の宇品港築港を完成させた千田貞堯を思い出した。千田も薩摩出身、不足する工事資金は自身の資産を投じた。薩摩の利他の精神は宝暦治水にあったのだと感服するばかり。更に、幕末、島津を頼る高山彦九郎、平野國臣がいたが、薩摩に決起するだけの財政基盤があったならば、彼等の願望も受け入れられたかもしれない。宝暦治水の総奉行平田靱負も、腹を切らずに済んだかもしれない。薩摩に優秀な土木技術が伝わっていたことが、逆に命取りになるとは・・・。明治期、福島県郡山での旧武士による農業指導をした老農・塚田喜太郎も然りだ。

そんな重く苦しい話の次は、165頁に懐かしい名前を見つけた。新体操の山崎浩子だ。最近、政治世界の裏面で取りざたされた旧統一教会問題だが、山崎もかつて統一教会で桜田淳子とともに話題になった人だ。山崎は鹿児島純心女子の出身だったと思い出した。

澁谷繁樹はその生涯において、無数のコラムを執筆している。それらが第二部に納められているが、272頁の特攻の記事には驚いた。あの終戦の日、大分航空隊から宇垣海軍中将とともに飛び立った特攻機だったが、一機が不時着していたとは、知らなかった。『遥かなる宇佐海軍航空隊』(今戸公徳著)に最後の特攻について記述があるが、不時着機があったとは・・・。

澁谷繁樹が現場主義の記者であることは、286頁の「命をかけた恋なのに」で知る事ができる。原稿を編集局に送った後は、堂々巡りの酒を煽っていたのだろうなと想像がつく。文から涙があふれている。

第三部は澁谷繁樹と親交があった七人、そして、実姉の思い出のコラム。詩人の岡田哲也氏の「こんな人ばかりじゃ、新聞社は持たないだろうけど、こんな人もいなくちゃ、新聞社は駄目なんだ・・・」は言い得て妙。

昔、近所には必ずといっていいほど迷惑この上ない偏屈オヤジ、頑固オヤジがいた。そのオヤジがいなくなると、共同体という桶のタガが外れたように隙間から汚水が漏れる。澁谷繁樹とは、新聞社を通じて鹿児島共同体のタガだったのだ。しかし、締め付けるだけではなく、他者の意見という水を貯め込むこともできる人ではなかったか。そう考えると、一つの時代の象徴としても、大いに楽しみ、考えさせられた本書は次世代に遺されるべき一書だ。

58.『今日も世界は迷走中』内藤陽介著、ワニブックス

・著者が論じる問題点を自身の立場で論じてみるとどうなるか

全5章、330頁余で構成される本書は、第1章「中国が仲介したサウジ・イランの国交回復から“世界を読む”」、第2章「取扱注意!今日も世界を動かす「陰謀論」」、第3章「日本が見習うべき“お手本”北欧の迷走」、第4章「みんな知らない韓国“反日の正体”」、第5章「日本社会の病理とその処方箋」の内容だ。いずれも、興味深いタイトルが並んでいる。しかし、「はじめに」を読み始めて間もなく、「まさかロシアがウクライナに軍事侵攻するとは・・・」と著者が率直に不明を詫びる箇所に、著者も迷走しているのかと興ざめしてしまった。欧州における中国とハンガリーの関係など、著者の情報分析が進んでいればと悔やまれた。

とはいえ、近年、欧州が移民を積極的に受け入れたことにより、欧州の情勢分析が難しいのも確かだ。国家として存在していても、移民を受け入れたことで旧来の欧州各国の文化や伝統がそのまま継承されているわけではない。本書の128頁にあるように、「なぜ、トルコはスェーデンのNATO加盟に反対なのか」など、複雑な移民事情が国家間の外交関係をややこしくしている。欧州の親日国であるフィンランドの英雄マンネルハイムといえども、かつての日露戦争時にはロシア軍として日本軍と対峙していたのだから、さらに複雑。加えて、移民政策の弊害については、ブレイディ・みかこの著書に「多様性ってやつは喧嘩や衝突が絶えない」「地雷だらけの多様性ワールド」と弊害が述べられている。それだけに、欧州のどこかに民族紛争の火種がいくつも転がっている。

第4章に韓国の反日について解説されているが、九州北岸、中国地方北岸地域からすれば、隣国ではなく古くからの「お隣さん」だけに、現実に韓国と直面する地域からすれば杓子定規の解釈に思えてならない。これは地政学の観点からも解き明かして欲しい。

そして、第5章の「日本社会の病理とその処方箋」については、やはり、具体的な解説が必要なのではと考える。レジ袋の有料化について、その広報において政府の対応に瑕疵があったことは確かだ。条件付きで無料であったりする制度の前に、レジ袋の全てが有料であるかのような告知は混乱を招いた。しかしながら、海浜に接する地域の浜辺や岩場を見てみれば海洋ゴミだらけ。それこそレジ袋、ペットボトル、空き缶、ガラス片で汚染されている。日本社会の病理といっても、首都圏と地方とでは異なるので、一概に「環境問題は過剰」との批判は机上の空論だ。狭いようで広い日本。地域、視点を変えて、外交関係も含め論じなければならない。

本書に掲げられている問題を、自身の立脚点で論じても面白いのではと思えたのだった。

57.月刊日本9月号掲載 『ドキュメンタリーの現在』 臼井賢一郎、吉崎健、神戸金史 石風社

56.『デュオする名言、響き合うメッセージ』立元幸治著、福村出版

・墓碑に学ぶ事は歴史に学ぶことに等しい

 

本書は、著者による霊園散策集であり、思索集というべきもの。政治、官民、戦争、志、文明、時代や世相、学びと医学、創作、芸術、人、生きるということ、人生というキーワードを基にテーマを設け、12章で構成されている。多数の著名人の言葉を47話、340頁弱に集約させている。ふと、これは著者が綴ってきた一連の霊園物語の集大成でもあると気づかされる。

読み進みながら、一つの時代を見る事ができる。インターネット全盛の現代、スマホ症候群ともいうべき、上っ面をなでた薄っぺらな文字の羅列に憤りを感じる。思案する前にインターネットが最大公約数の解答を用意してくれるからだが、それに慣れ切り、何ら疑問を抱かない人が増えた。言葉の重さ、大きさは感じられない。しかし、この一書からは逆に言葉の重厚さ、奥行きの深さを感じる。かつて、「行間と行間の間を読め」と言われたが、まさに、それが蘇ってくる。著者が、どれほどの読書量、それもジャンルに捉われず知識を吸収し、体験を経たかが窺える。それは、声なき民の代弁であり、人としてのモラルを求めるものであり、忙しい日々に流されてしまった大事な言葉への回帰だ。

「今だけ金だけ自分だけ」の世相は、いつの時代にもある。それでも、自身の信念を貫き通した人の紹介は清々しい。先が見えないと嘆くのがバカバカしくさえ思えてくる。とりわけ、第二章の「政治は玩具ではない」の井上ひさし、寺山修司の言葉は東京一極集中の弊害を具現化している。更には、言論弾圧の世があったことなど知らず、始めから「自由」があったと思っている世代には、絶対に紡ぎだす事のできない言葉は深く痛みを感じる。怒りを笑いに換える術を身につけなければならなかった人々の言葉は嚢中の錐でもある。

 言葉の重さ、重要性については第六章の「時代迎合の記事論説読むに堪えず」(永井荷風)は、実に同感だ。「忖度」という単語が並んだ結果、新聞購読者数は激減し、出版不況を出版業界自らが招いた。全ては、上手く世渡りすることを評価した結果だ。世相を斬る言葉が無くなって久しいが、大宅壮一の「一億総白痴」「一億総評論家」の予言はテレビの教養番組にお笑い芸人が登場することで、適中した。第九章の黒澤明の「作家は歴史の被告人だ」という言葉は、テレビに限らずインターネットのユーチューブに映像を流す輩に知って欲しい。

墓碑を巡るとはどういうことか。それは、一人一人が生きていくこと、それも、自身に与えられた役目を果たし、生きていくことを深く考える行為だ。ある意味、「歴史に学ぶ」とでも言い換えることができる。著名人の言葉の中から、これは!と思う言葉に出会ったら、各人の作品をじっくりと味わってみる。そこから得るものは少なくないはずだ。著名人だけではなく、無名の方々の「ゆるり」「泡沫」も捨てがたい。

55.『現代ユーラシアの地政学 EU・中国関係とハンガリー』児玉昌己著、久留米大学法学部

・地政学という学問の必要性を気づかせてくれる論考

全7章で構成される本論考は、アジアに位置する日本もEUの動きに無関心であってはならない。むしろ、国防も含めてアメリカに追従するだけではならないと気づかせてくれる。それは第1章の「地政学とユーラシア」においても同じだ。地政学(Geopolitics)という言葉が、地理(geology)と政治(politics)の合成語であることの解説からして、知識、認識の欠如を気づかせてくれるからだ。

今では「地政学」という言葉は当然のように評論などに使われるが、「戦争を指導した思想として教育の場からも研究者の間からも、長く地政学は取り挙げられることはなかった。」という。この「地政学」については、第2章の「3人の地政学的思想家」としてマッキンダー(1861~1947)、ホブソン(1858~1940)、クーデンホーフ・カレルギー(1894~1972)の3人を紹介、比較、検討することで歴史における地政学の有用性を証明してみせる。

そして、第3章以降において、ユーラシアという大陸を舞台に1.ロシアの相対的後退、2.EUの発展、3.中国の台頭と急速な強大化が解き明かされる。従来、ロシア革命から続く思想的な歴史でしか論じられてこなかったロシアだが、ヨーロッパ諸国、東欧諸国との関係性からの変遷は、生物が環境に応じて成長を進める様を見ているようだった。そこに、ユーラシアの東端に位置した中国(中華人民共和国)が経済成長とともにEUにも影響を及ぼしてきたことに改めて関心をそそられる。

中国は、国際社会に覇を唱える以前から「遠交近攻」という外交政策を基本にしていた。アフリカ諸国には医療団を送り、アジアには技術援助や資金援助を申し出ていた。それが大きく転換したのは米中の接近、それにともなう日中の国交樹立だが、あの天安門広場が自転車で埋め尽くされていた時代の中国の印象が強かったのではないか。それが、今や軍事力を背景にアジア、太平洋に膨張するまでになった。この姿を見て、かつての大日本帝国が半島、大陸に拡大していった様に似ている。日本同様、中国が紛争に引き込まれなければ良いがと懸念する。

その中国とEU加盟国のハンガリーとの関係性を著者は一つの具体的な事例として紹介するが、利害得失による押し引きの外交のあり方とEU議会のあり方は実にEUの真骨頂を示している。特に、ハンガリーが中国を利用し、その中国にEU議会が不快と不信を抱き、EU議会が否決する様は爽快でもある。日本においても手の下しようのない中国のスパイ活動だが、丁々発止の経済制裁という外交カードは「政治は生き物」を見ているかのようだった。とりわけ、中国政府のウイグル族などへの人権弾圧は内政不干渉を楯に日本の介入を許さない中国だけに興味深い対応だった。

最終の結論にも記されているが、従来、日本の外交は東欧諸国に対して関心が低かった。故に、ロシアのウクライナ侵攻も予見できない日本の評論家を出すに至った。更に、ウクライナ紛争において、ドイツが存在感を示していることにも注目すべきだ。これは国連が機能不全状態に陥っていることを世界に見せつけるものだ。最近、日本各地にヨーロッパ各国の戦闘機が飛来し、艦船が寄港するのもEUの対中政策の一環とするならば、日本の社会はEU情勢の報道量を増やさなければならない。再び、道を誤らないためにも、必須ではないだろうか。

54.『45年余の欧州政治研究を振り返って』児玉昌己著、久留米大学法学部

・もしも日本がEUに加盟したとしたら・・・

 

今から45年前、筆者は西ドイツを中心にヨーロッパ各国を放浪した。どうせ、欧州に足を踏み入れたのならばと、東西ドイツの国境を越え、東ドイツにポツンと島のように存在していた西ベルリンに行った。一日だけのビザを買って、東ベルリンにも入域してみた。そこで目にしたのは、経済格差だった。そんな凋落の東ドイツに比して、欧州では統合の試みが進んでいた。国境を通過する列車の車内で、パスポートではなく共通の身分証明書を提示するだけ。実験的ともいうべき、欧州連盟の在り方を模索していたのだった。

本論は、日本において数少ないEU研究者である児玉昌己久留米大学名誉教授の半生の記ともいうべきもの。長崎県佐世保市の政治活動が盛んな高校を卒業し、同志社大学に進学。そして、大学院に進み、研究者の道を歩むところから始まる。欧州だけではなく、日本も朝鮮戦争、ベトナム戦争と続く中で、混沌とした時代にあった。

読了後、欧州は国連に対抗できる同盟を形成する考えがあるのではないかと訝った。国連は、ドイツと日本を包囲するために連合軍が形成し、日独の敗戦後は国際平和を維持する機関として機能するはずだった。しかし、早々に、常任理事国の拒否権という特権によって機能せず、世界各地での紛争は続く。

今回のウクライナ紛争において、ドイツの行方、判断を見ていた。日本同様、国連ではドイツは敵国条項に入ったままであり、貢献活動は求められるものの、軍事的拡大は制約を受ける。そんな中、ドイツ製の戦車がポーランドに送られることで、対ロシアとしての形式は整えられた。しかし、敵国条項に記載される国連加盟国としてはいかがなものなのか。ドイツに求められた対応を日本も求められるのか。そんな他国の都合に、ドイツ、日本は耐えられるのか。

ふと、もしかしたら、ドイツはEUという欧州同盟に存在することで、矛盾だらけの国連から脱退するのではと考えた。ロシア(旧ソ連)、中国(北京)という大国の拒否権によって物事が進まない組織よりも、新しく統合できる組織を設けようとしているのでは・・・。旧ソ連邦に所属していた国々がEUに加盟を希望するのも、無機能の国連を見限り、共存共栄のEUに加盟することで経済的にも軍事的にも安定した国家運営を求めているからではないか。

いまだアメリカに従属し、日本は欧州の動きに関心を向ける風ではない。しかし、もし、日本がEUに加盟したとしたならば、どうなるのか。日本が、ロシア、中国、北朝鮮を欧州と挟み撃ちする形になる。さすれば、世界情勢はどのように変化するのか。一つの仮定として、想定してもよいのではと考えた。考える事々が多い論考だった。

53.『儒学者 亀井南冥・ここが偉かった』早舩正夫著、花乱社

・亀井南冥の再評価の序章としての一書

 

亀井南冥(1743~1814)という名前に対し、南冥の出身地福岡でも誰のことなのか、ピンとくる方は少ない。国宝金印の鑑定をした人ですとつけ足すと、「ああっ、あの金印の」と思い出すかのように納得される。その亀井南冥について、子孫が詳細に業績などの解説を行ったのが本書になる。3部で構成され、序章、終章も入れると全31章、380頁弱という大部だ。子孫が執筆したとなると、心情的に甘くなりがちだが、著者自身、身びいきにならぬように心がけたという。

亀井南冥は姪浜(福岡市西区)の一介の町医者の子供として誕生した。封建的身分制度の江戸時代からいえば、町民身分。しかし、南冥は早くから学問での才能を発揮し、それは朝鮮通信使の江戸参府の際、接遇係の末席に連なったことが証明する。朝鮮側から漢籍に優れた人として評価された。天明二年(1874)、福岡藩は修猷館、甘棠館と二つの藩校を設けた。南冥は甘棠館の祭酒(館長)に就任し、士分格を得る。しかしながら、その能力の高さは生粋の武士階級の誹謗中傷の標的となる。水戸藩の藤田東湖も「古着屋の倅」として水戸藩士の妬みの対象だったが、南冥もそれに等しい異端児扱いを受けている。

寛政四年(1792)、南冥は詳細な理由も明らかにされず「終身禁足」という罰を受け、館長職を退役となる。以後、生涯にわたって外出もままならず、往来の人も途絶え、酒浸りの内に72歳にして没した。この南冥失脚については、徳川幕府の「寛政異学の禁」に触れたという説がある。けれども、福岡藩からすれば荻生徂徠派の教えのみならず、実学に等しい教育を武士階級に施すやり方に強い反感があったとしか思えない。学問の成績よりも武士家格を学業に優先させていた修猷館が存続したことから、教育内容に福岡藩の反発があった。

亀井南冥には多くの門弟がいたが、中でも著名な学者として豊後日田の廣瀬淡窓がいる。廣瀬も咸宜園という学塾を開いたことで全国から入門者がやってきた。能力主義の教育方針は師の亀井南冥、昭陽に従っている。弟子や孫弟子たちの華々しい活躍に反し、存命中に評価を受けなかった南冥だが、明治期になって日本資本主義の父と呼ばれる渋澤栄一によって再評価された。「終身禁足」中に書き残した『論語語由』が渋澤の目に留まり、渋澤が説くところの論語に多数、引用された。更には、あの明治の文豪・森鷗外からも高い評価を受けている。果たして、福岡藩の身分差別を受けなければ、どれほどの数の弟子を育て、新しい学問体系を形成し、経世家としての著作を遺したかは計り知れない。しかし、南冥の志は門弟、孫弟子がしっかりと受け継いでいた。

今一度、亀井南冥の何が偉かったのかは、幾度も振り返らなければわからない。本書はその序章に過ぎないことを述べておきたい。

52.『ハマのドン』松原文枝著、集英社新書

・ハマのドンこと藤木幸夫の原点は弁当

令和5年(2023)6月22日、KBCシネマ(福岡市中央区天神)で本書と同名のドキュメンタリー映画を鑑賞した。複数の編集者や友人から「観ておくべき」として推奨され、放映最終日になんとか間に合った。しかし、客の入りは、一割にも満たない。およそ2時間弱、そろそろ集中力が切れかかってきた頃に終了。パンフレットを購入し、その足で新刊書店に出向いた。

映像は感動的だが、それは徐々に記憶から消え去っていく。せっかくのドキュメンタリー映画も、場面、言葉などが思い出せなくなる。その補完の意味でも本書はありがたい。更には、全5章のうち、4章は映画で鑑賞した内容と重複する。小見出しを追えば、映像が蘇る。しかしながら、本書の肝は第5章の「闘い終えて映画化へ」だ。

崔洋一監督の遺言という箇所での「港湾労働者の姿が描ききれていない」という指摘は、まさしくと思った。事前に火野葦平の私小説『花と龍』の映像を見れば、沖仲士こと港湾労働者の生きざま、歴史がドキュメンタリーに色を添えたかもしれない。

本書を通読して面白いと思ったのは、「おわりに」の中で、ハマのドンこと藤木幸夫氏のところに元首相の菅義偉氏が挨拶に出向いたという箇所だった。これぞ、政治の世界そのままではないか。この政治世界の問題はIR(インテグレイティッド・リゾート)基本法が平成28年(2016)に成立したことが発端だ。意味不明の横文字に国会議員が大騒ぎしたが、いわゆるカジノ構想だ。その大々的な構想ターゲットになったのが、横浜港だった。カジノを誘致すれば税収増額、雇用が安定するとの謳い文句だった。しかし、これにはとんでもない落とし穴がある。それを具体的に示してくれたのが、新型コロナウイルスだった。

このカジノだが、本場アメリカのラスベガスでは衰退している。アジアでは香港、マカオ、シンガポールが有名だが、現地での実態を知れば知るほど、税収や雇用が「絵に描いた餅」であることがわかる。すでに、大阪市がカジノ誘致を本格化させているが、事業者として参画しているオリックスも不良債権を抱えることになるだろう。本来、カジノ事業者が負担すべき「夢洲(ゆめしま)」の造成費用を大阪市が負担するというから、先行きは暗い。

為政者を含めての事業者の見通しの甘さはどこからくるのか。それは、本書の75頁に示された弁当の写真が物語る。「食べることができるありがたさ、食べてもらいたい思い、弁当を持たせるということにこだりがあるのだ。」との記述だが、戦後の貧しい時、職を求めて集まる港湾労働者には弁当がふるまわれた。貧相な弁当ではあるが、労働者たちはその弁当のタイ米を家に持ち帰り、雑炊にして子供たちに食べさせた。額に汗し、日々の糧を得た港湾労働者が築き上げた横浜港を、道楽者のために明け渡すわけにはいかない。最高権力者に立ち向かう藤木幸夫の原点は、弁当にあった。ふと、この弁当の話から「港湾労働者の姿が描ききれていない」という崔洋一監督の言葉を思い返したのだった。

51.『詩集 サラフィータ』前野りりえ 著、書肆侃侃房

・時空が交錯する中で生じる聖と魔

 

サラフィータとは?何ぞや?

普段、詩集を手にする事が少ない筆者にとって、サラフィータとは詩の表現方法と思っていた。しかしながら、そのサラフィータが著者による造語であり、太宰府を意味する言葉と分かった時、やはり、思い浮かんだのはイーハトーブ。宮澤賢治がエスペラント語で自身の故郷である花巻を様々に呼び換えた手法が蘇った。

 サラフィータとは太宰府。

そう意識づけをして、Ⅰ章のサラフィータ1月から12月を読み解いてみる。たちまちに蘇ってきたのは、大宰府政庁跡だった。遮蔽物がなく、四囲を山に抱かれ、それでいて規則的に並ぶ礎石群。

古の栄華を感じることができるが、永い永い年月の積み重ねがプロジェクターに映し出される映像の如く。それは、花であったり風であったりして、姿を変えて今に再現されているのではないか。そんな思いを抱くと、詩の中に織り込んである、今、目に映る自然が言葉に変身していることに気付かされる。これはもう、太宰府に愛着を持った者でなければ描けない言葉の風景だ。

帯に、詩人の岡田哲也氏の言葉があった。「前野りりえのリリシズム」と。詩人は詩人の言葉の表現手法を「リリシズム」と名付けた。納得。

そして、Ⅱ章のエニウェア。

これは、日々の風景、光景を言葉に置き換えたものだが、「なるほど」「わかるわかる」と腑に落ちるものもあれば、迷い込む詩もある。この迷い、自身の存在を隠してブラインドの隙間から見る風景が、岡田哲也氏の言うところの「魔が潜む」なのだろう。

歴史に正負があるように、詩にも聖と魔が交錯することを教えられた。それも、同時並行の時空の中に。

リリシズム、面白い。

㊿『うどん屋おやじの冒険』語り・青木宣人、聞き手・宮原勝彦、集広舎

・人の存在意義は共同体が教えてくれる

 

本書は福岡県嘉麻市でうどん屋を営む青木宣人さんの語りを宮原勝彦さんがまとめたもの。しかし、うどん屋の経営書ではない。平たくいえば、地域おこしコンサルタントが生業としてうどん屋を営んでいるのだ。宮原勝彦さんが、週に一度、青木さんのうどん店を訪ねては、生い立ちから遠賀川のサケ放流までを楽しくまとめてくれた。

聞き書きとはいえ、通常、一章、二章と章立てにするのが本の形態。しかし、青木さんは現在進行形の人であり、これから新たに何をやり始めるか分からない。一応、12の項目を立て、280ページ余で構成している。青木さん同様、枠にはまらない、枠にとらわれない一書とでも言った方がよい。

まず、最初の「これからを生きる人たちへ」が、今を生きる私たちに「人とは何か」を示してくれる。少子化が問題とされる昨今だが、毎年3万人近い人の自殺は問題だ。少子化対策の前にうつべき策は自殺防止。イジメ、虐待もしかり。更には、生きるための農産物の自給率もだ。安く食料を輸入すれば良いという発想は捨てるべきであり、食糧輸出国の食物を略奪していることを知るべきだ。

次に、日本の地方都市が抱える「限界集落」の話に移るが、「地域おこし」の関係者は、自身の足下を見ず、体裁の良さ、見栄えの良いもの、外国人ウケを狙う。しかし、これがいかに自身の首を締めあげる行為であるかを自覚していない。大量生産大量消費ではなく、少量多品種が地方の「売り」であることを認識しなければならない。

ところで、この青木さんは遠賀川(福岡県)でサケの放流をおこなっている。サケは北海道、オホーツク近海の魚と思っている方がほとんど。しかし、九州の北部に位置する遠賀川にもサケは遡上してくる。そのサケを放流することが「地域おこし」になっている。ここでしかできない意外性があるから、他所から人が集まってくるのだ。そして、そのサケの遡上に欠かせない河川の整備、森林保護が、また更に人を集める。いわば、日本人の原点、先祖から受け継いできたDNAの再確認作業が無意識に「地域おこし」になっているのだ。人間も動物である。実に、この動物の本能を青木さんは、くすぐっている。

この青木さんの本能をキャッチする能力は、いったい、どこから・・・と思うが、青春時時代の海外放浪で身に着けたものだった。一所に命を懸ける日本人と異なり、移動する民族の特性を知る事で、青木さんは原始人の本能を自身に蘇らせたといって良い。中途に挟まれる漫才コラムも含め、面白おかしく読み進みながら、要は対面することで共同体を構築することが大事なことなのだと分かって来る。その人と人の繋がりの重厚さは、巻末の交友録が代弁してくれる。

およそ150年前、西洋近代化の道を選択した日本だったが、これからは自然と共生する地域共同体の在り方を西洋に伝える役目が日本にはある。そのモデルとなる人が青木さんである。じわじわ、噛みしめながら、その真髄を読み解いていっていただきたい。

㊾『中国はなぜ軍拡を続けるのか』阿南友亮著、新潮新書

・東洋の安定のためには、皇帝による徳政のほうが良いのでは・・・

 

 新書ながら、5部構成、全15章、330ページ余の本書をようやく読了した。「孫子・呉子の兵法」「韓非子」など、一連の中国古典の現代版を読んでいるかのようだった。大清帝国から中華民国建国に至る闘争、国民党と共産党との内戦、そして、現在の北京、台北との対立まで、何ら中国人の本質は変わっていない。今も、権謀術数を繰り広げる権力者がいることに、今後、この大国との付き合いはどうしたものかと大きなため息をついた。

昭和47年(1972)5月、首相の佐藤栄作は沖縄県の復帰をもって政権にピリオドを打った。続く田中角栄首相は中国(中華人民共和国)を訪問して、国交樹立の道を拓くことで華々しい政権トップとしてのデビューを飾った。その後、パンダ外交など日中の友好関係は続き、日本からのODAによって中国は国家としての基盤を整えた。そして、半世紀を経た今、中国は軍事大国の道をまっしぐらに走り、日本に帰属した尖閣諸島を巡って軍事対立に至っている。果たして、この国交樹立から50年という年月を、メディアも含め、日本の政財界はこの権力闘争の変遷をつぶさに見ていたのだろうか。世界の批判を受けながらも、情報非公開、言論弾圧、チベット・ウイグルの人権侵害、止まらない軍拡を、なぜ、中国は続けなければならなかったのか。

日中関係は冷え込んでいるとメディアは報じる。その一連の原因に対し、日本は誠実に対処してきたが、何ら、解決には至らない。二転三転する中国共産党に、ただ、振り回されてきただけだ。このモヤモヤした原因を本書は見事に解き明かしてくれた。要は、中国共産党内の権力闘争に日本は利用されているだけの事だった。

しからば、関与しなければ済むのだが、すでに日本の財界は中国にどっぷりと投資をして、抜き差しならない関係となっている。おいそれと、手を引くこともできない。この関係は、米中関係によっても大きく日本に影響を及ぼしている。毛沢東、鄧小平という人民解放軍トップを経験した権力者によって、米中の対外政策が波動となって日本に影響していたことに驚きを隠せなかった。軍拡を続ける中国に対しての安心材料は日米の軍事関係ということだが、昨今、国防費の増加が問題とされている。しかし、その日本の軍事費の増大も、もとはといえば、中国共産党の権力闘争にあった。

歴史を振り返ると、孫文の盟友であり革命を支援した末永節(1869~1960)が、大東亜戦争末期、中国の帝政復活を主張していたのも分からないでも無い。頂点に立つ皇帝が徳政を敷くことでしか、この大陸国家は治まらないのかもしれない。現主席の習近平氏の独裁が問題とされるが、意外にも氏に皇帝として君臨してもらった方が日中関係は安定するのかもしれない。かつて、中国共産党の権力闘争によって多くの中国人が生命を落としたが、その再来も避けなければならないからだ。

㊽『幕末の奇跡』松尾龍之介著、弦書房

幕末、薩摩の大名行列をイギリス人が横切ったことで起きた生麦事件。その報復にイギリス軍艦が鹿児島を砲撃した。城下を焼かれ、五代才助らが捕虜となってしまうが、結果は薩摩の勝利に帰した。

その戦闘を詳細に見ていくと、薩摩は西洋砲術の理論を採用していた。「西洋科学の英知を集めた〈蒸気船〉から幕末を読み解く」と本書の帯にあるように、いわゆる西南雄藩は、西洋の科学技術を吸収し、実戦に用いたことが討幕戦争の勝敗を大きく分けた。

明治の産業革命遺産が世界遺産に登録された。その登録において、多くの方が見落としているのが産業革命にいたる人材の育成についてである。最先端の西洋科学を日本人がどのようにして吸収していったのか。どのように応用したのか。その過程が明らかにされていない。休日ともなれば、世界遺産の史跡は押すな押すなの大盛況ぶりだが、誰が、どのようにして具現化したかの説明はお粗末としか言えない。

まさに、今回の世界遺産登録を待っていたかのように本書は刊行された。幕末から明治にかけ、誰が、どのようにして西洋の技術を習得し、基礎となしたかが述べられる。阿部正弘、小野友五郎、中島三郎助、松本良順、佐野常民、西吉十郎、本木昌造、榎本武揚、田辺太一などが登場する。資源に乏しい日本と言われながらも、探究心旺盛な人材が揃っていたことが、西洋列強に対抗できうる唯一の資源だった。

ペリー来航以来、何かと分が悪い徳川幕府だが、長崎海軍伝習所を開き、オランダ海軍のファビウスを招聘したことは功績としなければならない。なかでも、その海軍の技術を重要視したのが佐賀藩だった。海軍と言えば薩摩藩と思うが、地の利からいえば佐賀藩である。長崎港は福岡藩と佐賀藩が隔年で警備する港だっただけに、外洋を走る南蛮船は平常から見慣れている。福岡脱藩浪士の平野國臣も江戸の人々がペリーの黒船に驚く様に呆れた。

長崎海軍伝習所は永井尚志が総督となり、勝海舟が生徒総監という立場だった。海舟も蘭学を習得していたからこその抜擢だった。ちなみに、海舟が蘭学を習得できたのは福岡藩主黒田長溥が召し抱える蘭学者永井青涯を差し向けてくれたからだった。

進取の精神に満ち溢れた長崎海軍伝習所だが、紆余曲折の末に閉鎖される。この場面は多くの歴史書、小説に描かれるので詳細な解説は無用。しかしながら、本書において注目しなければならないのは、第五章のオランダ通詞、第七章の長崎製鉄所、そして最終章の製糸業ではないだろうか。

西洋の科学を理解するにあたり、まず、直面するのが言語。とりわけ、長崎海軍伝習所の生徒はオランダ語を理解しなければならない。通詞を介しての授業は、教える方も教わる方も、ストレス満載だったことは想像に難くない。

ここでは、西洋科学の用語、とりわけ物理の単語を翻訳したオランダ通詞志筑忠雄の存在を忘れてはならない。鎖国、求心力、真空など、今でも日常的に使用している言葉は志筑の労作である。この志筑によって英語、フランス語、ロシア語などの基礎文法が整えられた。明治のジャーナリストとして名前が挙がる福地源一郎もオランダ通詞であった森山栄之助から英語を習い、頭角を現した一人だった。

鹿児島に攻め入ったイギリスを薩摩が撃退した。その命中弾の背景に、志筑が翻訳した「弾道論」があったとはイギリスも知らなかったのではないか。東京板橋の高島平という地名は西洋砲術の高島秋帆の高島にちなんでつけられた地名だが、その高島平の郷土資料館、図書館での資料に志筑忠雄の名を見ることができる。

長崎にはファビウスによって長崎製鉄所が開かれた。ここでは艦船の修復が可能な事から、多くの日本人が実地に蒸気船の構造を知ることができた。やがて、この習得した蒸気船技術は陸に上がり、製糸業を支える原動力となる。この製糸業の発展が日本の外貨獲得に貢献した。

一読後、明治の産業革命遺産は近代の基礎作りに貢献した人々がいてこそと再確認できる。それでいて、本書では、福澤諭吉、勝海舟に対する、喉に小骨が刺さったような評価も忘れていない。

巻末には海軍伝習生名簿が掲載されている。オランダ人教師団から、各藩別に分かれているが、士官、下士官、水兵教育の実際が見えてくる。これはこれで、一つのノンフィクションを構成しており、関連年表とともに日本の海防史として読み解ける。近代史研究必携の書ではないか。

㊼『踏み絵とガリバー』松尾龍之介著、弦書房

・意外なモノが結びつく不思議

 

踏み絵とガリバー?

タイトルを見て、疑問に思わない人はいないだろう。あの隠れキリシタンを摘発する「踏み絵」と子供の頃から親しんだガリバー旅行記のガリバーと、何が、関係するのか。

そう思うのも仕方ない。多くの日本人にとって、ガリバー旅行記といえば、小人の国、巨人の国の印象が強いからだ。しかし、意外だったのは、ガリバーは日本を訪問していた。

そして、ガリバーが日本を訪問した時代は「踏み絵」をしなければ入国できない。けれども、ガリバーは「踏み絵」など、断じてやりたくない。そこには、江戸時代、日本との交易を独占するオランダを揶揄するイギリスの意図が隠れていた。この遠大な策略を考えだしたのが、原作者のスィフトだった。

この「踏み絵」の背景について、スィフトの作品を絶賛した文豪夏目漱石も見落としていた。著者は、この複雑怪奇なスィフトの深謀遠慮を簡明な言葉で解説していく。実に、読み聞かせのように構成された全7章を読了した。本書で感心するのは、鎖国時代の日本について、学校で教えられる事々は日本国内が中心。しかし、その江戸時代、欧州ではすさまじい覇権争いから新大陸発見、新大陸の侵略という歴史があったことだ。その事々が、簡明にして、謎解きのように説かれている。

今、日本を取り巻く環境、外交について、その論じられるフィールドは狭い。しかしながら、本来、なぜ、鎖国政策が打ち破られたのか。なぜ、日本市場を欧米が求めてきたのか。その背景が分かれば、現今日本における外交問題の焦点がいかにズレているかがわかるだろう。

外交問題を解決するには歴史を遡らなければならない。しかし、世界史、日本史を含め「面白くない」の一言で日本社会は歴史を軽視する。本書は、「踏み絵」と日本人が慣れ親しんだ「ガリバー旅行記」を組み合わせることで、歴史に興味を抱かせてくれる。

さて、文豪漱石が、本書を読んだら、どんな感想を抱くだろうか。

「行秋や歴史の紐の解け易き」とでも、詠むのだろうか。

㊻『老子・列子』訳者・奥平卓、大村益夫、経営思潮研究会

・東洋思想の基本には、曖昧を抱合できる素地がある

 

『老子』は老耼(ろうたん)の説を記したものといわれるが、その老耼自身が謎の人物と言われる。同じく『列子』も古代の「寓話の宝庫」と言われながら、これも実在の人物なのか詳しくは分かっていない。それでいて、『老子』にも、『列子』にも、孔子が登場する。あまつさえ、老子は孔子に教えを授けたとまでいわれる。そう考えると、この『老子』『列子』は、中国民衆の間の話を架空の人物を設けて書き記したものではないかとさえ思える。著名な孔子でさえ回答に苦慮した話や、法家や道家の話も混在するところから、儒家では網羅しきれない事々が補足として綴られたものかもしれない。

その『老子』では、自然哲学、原理、本質を重要視している。例えば「雄の本質を把握した上で、雌の立場に身を置け。」や「運命に翻弄されることなく主体性をもってコントロールしろ」と教える。「絶対というものは無い」とも。なかでも、「一国の政治は農夫を手本として行なうべきである」との説には、「天壌無窮」という西郷隆盛も好んだ言葉を思い浮かべる。この「天壌無窮」は、自然の理に従う教育の原則ともいわれるが、徳を内に深く体することを示している。「絶えざる変化は宇宙の本質」「天の意志」「法三章」など、天と人との相互の在り方は、功利主義の西洋文明には想像も及ばないだろう。特に、「兵強ければ滅び、木強ければ折る」はけだし名言と考える。

『列子』は「寓話の宝庫」だが、あの中国共産党を率いた毛沢東も「愚公、山を移す」という話を引き合いにして、帝国主義、封建主義に対抗できるのは共産主義であると主張する。どうにも夢物語のような中国共産党による国造りを、この寓話に重ねたようだ。不可能と思う事でも、その強い意志があれば達成できると、毛沢東らしく民衆を扇動したのだ。

更に、寓話の宝庫としての『列子』には、「ものを知らない孔子」として子供が孔子を揶揄する話がある。「太陽は、朝、近くにいて、昼、遠くにいる」「いや、太陽は朝、遠くにいて、昼、近くにいる」という論争をする子供。通りかかった孔子にどちらが正しいか尋ねるが孔子は回答できず、子供たちから「それで物知りなの、おじさん」と呆れられた。

善か悪。白か黒かを法律で決めたがる西洋。これに対し、曖昧な形で物事を処理する術を知る東洋との文明の差を知る一冊でもあった。為政者は当然にしても、一般人にも分かり易く説いたのが「列子」ではないだろうか。

地政学的に、日本は大陸や半島の国々と関係を遮断できない。それだけに、共通理念として知っておくだけでも有益な『老子』『列子』ではないだろうか。

㊺『絹と十字架』松尾龍之介著、弦書房

・西吉兵衛、こんな南蛮通詞がいたとは・・・

 

「鎖国」という言葉を生み出したオランダ通詞の志筑忠雄。その存在を知ったのは、著者の『長崎蘭学の巨人 志筑忠雄とその時代』(弦書房、2007)からだった。日常、何の意識もせずに使っている「名詞」「動詞」などの文法用語、物理学用語の「真空」など、それらが志筑の労作であったと知った時の驚き。言葉に深い意味があり、長い歴史が潜んでいることに「目からウロコ」だった。以降、著者の新作が出るのを楽しみにしている。

今回、その楽しみの新刊は、南蛮通詞(通訳)の西吉兵衛である。南蛮と聞くと、東南アジアからやってくるヨーロッパ人という印象がある。すでに、この時点で「南蛮」という言葉の定義が曖昧であることに気づく。本書は、その曖昧なままで理解を進めてきた歴史を確定するための一書。読み進みながら、歴史年表の知識しか持ちえなかった事を恥じ入った次第。

その最たるものが、一五四九年のザビエル来日からポルトガル人追放、更に、ポルトガル特使派遣の百年間だ。徳川幕府の「鎖国」政策によって、ある日を限りに一切、ポルトガル人との接触は無かった・・・と思っていた。ところが、事実は、そうではない。実に、国家の威信と貿易の実利を天秤にかけて、丁々発止のやり取りが徳川幕府とポルトガルとの間に続けられていたのだ。その狭間、為政者の意向で行われるキリシタンや宣教師らへの拷問。その手口も、温泉の熱湯を傷口にかける、糞尿の桶に首を押し付けるなど、とても人間の仕業とは思えない。そんなキリシタンや宣教師が苦痛に喘ぐ中、幕府とポルトガルとの間にあって、仲介の労をとる通詞は、ある意味、現代の外交官にも匹敵する。その代表が本書の主人公西吉兵衛だ。

全四部、二十三章、三百ページにわたる本書の端々に登場する通詞の重要性を見逃してはならない。更には、西吉兵衛が、南蛮医学を学び、継承した功績も高く評価されるべきと考える。

語学の天才とオランダ人が高く評価する志筑忠雄を著者に教えられたが、今回も西吉兵衛という南蛮通詞の存在を教えられた。歴史の襞に隠れた次の人物は誰だろうか。今から、ワクワクしながら、待ち焦がれることにしよう。

㊹『CIAスパイ養成官』山田敏弘著、新潮社

・日本の国防には、経済の活性化。技術の向上が不可欠

「CIAスパイ養成官」というタイトルもさることながら、表紙のにこやかにほほ笑む女性、「私はCIAで、ガラスの天井を突き破ったのよ」という帯文字が目に留まる。小説のような印象を受けるが、写真や巻末の「主要参考資料」が、ノンフィクションであると主張する。

CIAとは、「CENTRAL INTELLIGENCE AGENCY」の頭文字から付けられた略語だ。日本語では中央情報局とでも訳せばよいかもしれない。諜報活動で得た情報をもとに、国家危険に対し謀略を仕掛ける組織だが、そんなおどろおどろしい組織にキヨ・ヤマダこと山田清は属していた。そのCIAでキヨ・ヤマダは諜報員に日本語を教育し、自身の母国である日本に送り込む。日本はスパイ天国といわれるが、エージェント(協力者)を抱え込み、敵国情報を取集する。このエージェントをリクルートする手法も本書に紹介されるが、「困っていることを探る」のが第一の秘訣。じわりじわりと相手を信用させ、最終的にがんじがらめに絡め取る。この方法はKGB(ソ連)においても同じだ。

諜報員にとって最も重要な要素は言語。そこから他国の文化を学ぶことがインテリジェンスへとつながる。CIAでもハード、ディフィカルト、イージーの三段階に区分された言語において、日本語はハード、つまり習得困難な言語とされる。会話はもちろん、読み書きに至るまで日本人同様のレベルに到達しなければならない。それだけではなく、諜報員は敵国の海底ケーブルを切断するほどの特殊技能も要する。

そんなキヨ・ヤマダが何ゆえにCIAの養成官になったのかといえば、結婚によるものだった。恵まれた家庭に育ち、自身もキャリア・アップを目指していたキヨ・ヤマダだったが、駐日米軍将校と知り合い、結婚、渡米。更には、夫の転勤に伴いドイツにも滞在した。性格的に潔癖症ということもあり、ドイツ語についても完璧を目指す。当然、米国での生活に欠かせない英語も同様だった。CIAの日本語教師としては文句なしの存在だった。

スパイ映画でも観賞するかのように読み進んだが、同時に現代アメリカが抱える社会問題、つまりウィーク・ポイントも浮かび上がってくる。日本では当然と思われる戸籍制度がアメリカには無い。更に、人種差別、超格差社会であるということだ。表面的な「自由の国アメリカ」を信用すると、とんだしっぺ返しを食らう。キヨ・ヤマダもそうだった。全7章、200頁からは、「国家の為」という大義名分の下、非合法を容認する組織が存在することに戦慄を覚える。そんな組織を抱える米国からの自立を目指すのであれば、経済の活性化、技術の向上が不可欠。更に、武力にインテリジェンス機関が無ければ、自国を護るための情報も入手できないのだ。

日本のメディアは操作されているという。しかし、独自に情報分析くらいは身に着けておいた方がよい。本書が示唆する事々は実に多い。

㊸『世界を動かした日本の銀』磯田道史、近藤誠一、伊藤謙ほか著、祥伝社新書

・機能不全の国連を活性化するユネスコ

本書は2007年(平成19)6月に世界遺産に登録された石見銀山(島根県大田市)に関する講演録。全5章、200頁で構成されるが、統計表、写真なども多く、講演録だけに読みやすい。

まず、第1章は磯田道史氏の「世界を動かした日本の銀」だが、大永6年(1526)に博多の商人・神屋寿禎によって開発が始まり、その後、灰吹き法という精錬技術によって飛躍的に銀の生産が高まった事実を歴史的に解説していく。なかでも、産出量、各国におけるGDPや貨幣価値、人口比などを使って、銀が世界経済にとってどれほど有益であったかを表している。

第2章は近藤誠一氏の「世界遺産登録の舞台裏」だが、これはユネスコ大使であった近藤氏が、石見銀山が世界遺産に登録されるまでの秘話を紹介している。特に、69ページに、なぜ、ユネスコが国連の機関として誕生したかを述べている件は必読だ。世界平和の機関としての国連が機能不全に陥っているのは昨今のウクライナ情勢で明白だが、それが、昨日今日の問題ではない。その解決策として誕生したのがユネスコだった。持続可能、環境に配慮した石見銀山だったから、世界遺産に登録されたという意味は大きい。経済効果のための世界遺産ではない事を理解しておく必要がある。

第3章は仲野義文氏の「石見銀山の歴史的価値」だが、これは第1章の磯田氏の解説を補足する形になっている。石見銀山は温泉津町(ゆのつまち)にあるが、温泉という文字から火山の存在が銀鉱山を生み出したことが見えてくる。更に温泉津というように津は港を表現する。江戸時代以前の交易は船によるものだが、港があったことで銀の搬出が可能だった。更に、灰吹き法という精錬技術が時代によって変化すること、付属の建物群が残っていることで往時の繁栄を証明できたのは貴重だ。

第4章は石橋隆氏の「江戸時代の鉱石標本の発見」だが、鉱石標本が残っていることには驚きだった。いつ、どこで採取され、銀の含有量などを肉眼で判断できたという事実に驚くしかない。鉱物の肉眼鑑定の第一人者である石橋氏も、鉱石標本を目にして興奮したことだろう。

第5章は講演会のコーディネート役を担った伊藤謙氏、福本理恵氏を交えての対談。この対談からは昨今の限界集落、人口減少問題など、現代日本が解決しなければならない問題を討議しており、「町づくり」の観点からも有益な情報が得られるものと考える。とりわけ、次世代にどのようにバトンタッチするかという事からも、考えることは多々だ。世界遺産登録にまでは至らないが、歴史遺産を観光資源として開発し、観光客を誘致したいと考える自治体の参考になる一書ではないか。石見銀山も世界遺産に登録された直後は爆発的に観光客が訪れたが、その後の減少から考える事々は多い。

㊷『天誅組の変』舟久保藍著、中公新書

本書は武力による倒幕維新の魁として注目される「天誅組の変」についての研究書だ。前章、終章を加え全6章、210頁余で構成されている。本書の狙いは文久2年(1862)の「伏見挙兵」、翌年の「天誅組の変」、「生野の変」が一連の事件として繋がっていることを証明するものだ。その中心人物として平野國臣を置いている。

この平野國臣が活躍した時代の福岡藩主は黒田斉溥(長溥)だが、薩摩島津家からの養嗣子だ。父は蘭癖大名として名高い島津重豪であり、名君の誉高い島津斉彬とは2歳違い。江戸の薩摩藩邸では斉溥・斉彬は兄弟のようにして育てられた。この島津斉彬が藩主就任前に起きた事件がいわゆる「お由羅騒動」だが、この時、4人の薩摩藩士が福岡藩に亡命してきた。黒田斉溥としても、斉彬派の者であるならばと庇護下に置いた。その亡命者の一人が北条右門(木村仲之丞)であり、平野國臣に時勢を説いた人だった。入国が難しい薩摩に、平野が入国できたのも、この平田篤胤派の北条右門の存在があったからだが、この北条右門の妻女は福岡藩の吉永源八郎の養女である。更に、亡命者の一人である葛城彦一は海を介して馬関(下関)の白石正一郎ともつながっていた。

こういった縦横の人間関係に加え、久留米・水天宮の真木和泉守と平野とが結びついていれば、伏見(寺田屋)挙兵、天誅組の変、生野の変が連鎖反応を起こすのは自然の理である。ただ、ここで、なぜ、天誅組の変に真木和泉守の門下生が参画しているかだが、これは、後醍醐天皇を祖とする南朝の残滓が強く関係している。真木が南朝の忠臣・楠木正成を崇拝していたのは有名な話だが、天誅組の変が起きた奈良の吉野も南朝の故地だ。懐良親王の墓所、良成親王の陵墓がある福岡県八女市と吉野町は姉妹都市の関係だ。吉野町の地形と八女市の地形が酷似していることに驚きを覚えるが、年初、良成親王は吉野の方角に向けて遥拝していたという。

そういった事情のもとに本書を読み進んでいったが、いかに「天誅組の変」における挙兵に大きな意味が含まれていたが理解できた。加えて、先人たちの苦難の足跡にも、哀惜の情を覚えずにはいられなかった。波状的に挙兵が起きたことで、徳川幕府の屋台骨を揺るがすことができ、最終的には維新に至ったことを思えば、「伏見挙兵」「天誅組の変」「生野の変」を繋げるという展開は当然、あってしかるべきものだ。

終章210頁に平野國臣が宮内庁に献納したという『回天管見策』だが、平成26年(2014)に平野の遺族関係者から、「献納させられた」との報告がなされている。平野の弟である平山能忍は政府の官吏であったことから、献納という形式を選択せざる得なかったのだろう。「思想は為政者によって焚書される」というが、なんとも胸の痛む話だ。

最後に、伏見挙兵に関わった真木和泉守だけに、本書は「天狗党の変」「禁門の変」にまで繋げて解説して欲しかった。

㊶『長崎蘭学の巨人』松尾龍之介著、弦書房

・日本の近代化に貢献したオランダ通詞

 

いまや日常生活に浸透している外来語だが、「お転婆」という言葉はオランダ語の「御しがたし」という意味のオンテンバーから来ている。その他、ピストル、ポンプ、ランドセル、メス、カバン、ブリキ、ガラスなど、これらは全てオランダ語由来の単語だ。日本人は外来のモノマネ上手と言われるが、このことは反面、国粋主義者ではないともいえるのではないか。

本書は今もオランダで「語学の天才」と賞賛されるオランダ通詞・志筑忠雄(しづきただお)の生涯と功績に焦点を合わせたものだ。日本を取り巻く環境の変化を雲中飛行船という西洋科学の発展と併走させるというダイナミックな展開が読み手を飽きさせない。日本における蘭学の発展について上方(大坂)では緒方洪庵、江戸では杉田玄白、前野良沢等の名前が出てくる。しかしながら、蘭学の本場である長崎といえばジーボルトの医学校ともいうべき「鳴滝塾」しか思い浮かばない。これはジーボルトが国禁の品々を国外に持ち出そうとしたことでオランダ通詞たちが責を問われ、大量に処分されたことが背景にあるからだろう。

しかし、明治の勃興期、文明開化を急ぐ多くの人々がオランダ通詞の流れを汲む志筑忠雄の恩恵に浴したことは知られていない。その志筑の名前は『日蘭交流400年の歴史と展望』(日蘭学会)に功績を称える一文が寄稿されている。皮肉なことにそれはオランダ人のヘンク・デ・フロート氏が絶賛している。志筑忠雄は「代名詞」「動詞」などの文法用語、天文、物理、地理に関する言葉を日本語に翻訳した。更に、オランダ語の文法書を編纂したことで、派生的に英語、フランス語、ロシア語などの文法書ができたことを多くの日本人は知るべきだろう。今もって、志筑がオランダ語から翻訳した言葉は日本で生きている。「真空」「重力」「求心力」などだが、極めつけは「鎖国」だ。

オランダ通詞志筑忠雄の功績を現代人に分かり易く解説した本書だが、それだけに近現代史の研究者にとって必読の書だ。

蛇足ながら、杉田玄白はオランダ語の力量が低かった。そのことを棚に上げ、オランダ通詞たちの実力不足を批判している。ところが、オランダ商館医ジーボルトがドイツ人であることをオランダ通詞たちは見抜くだけの語学力を備えていた。その事を、吉村昭は『冬の鷹』で顕かにしている。

㊵『新・「NO」と言える日本』金文学著、高木書房

・パンダのシャンシャンも人を襲撃する熊であると知るべき

 

令和5年(2023)2月、上野動物園の人気者パンダのシャンシャン(香香)が中国に送還された。シャンシャンは令和元年(2017)6月に上野動物園で誕生し、その独特の愛敬ぶりに熱狂的ファンが続出。シャンシャンを見送る様子はニュースにもなった。実に、平和でのどかな日本の風景だ。印象、気分、空気で物事の善悪を判断する日本人の気質からすれば、中国の印象はシャンシャンに重なっているのではないか。そうであれば、パンダは最高の外交道具だ。本書を読了して、ふと、思い浮かべたのは、このシャンシャンを外交利用する中国共産党の恐ろしさだった。

本書の著者は、日本に帰化した韓国系中国人だ。中国といっても55の民族部族から構成されるだけに、中華民族だの中国人だのと一括りにすると間違いを犯す。著者の出自を念頭に全6章、250頁余に展開される主張は現実味を覚える。更には、中国というよりも、一握りの中国共産党が55の民族部族を支配下に置いていることが見えてくるだろう。

著者が警告するのは、西日本を「東海自治区」、東日本を「日本自治区」として中国に組み込もうと中国共産党が画策していることだ。日本はアメリカの植民地支配にあるとしてアメリカを糾弾する一派がある。しかし、中国共産党も着々と日本支配を計画していることを知るべきだ。「戦争するより、植民地支配下にあった方が良いよね」と嘯く左派系の地方議会の議員がいたが、現実のチベット、ウイグル、モンゴル自治区の惨状を知らないのだろうか。強制収容所に送られての強制労働、臓器売買、洗脳教育。限り無い人権無視の環境に日本は取り込まれる危険があるというのにだ。

「クール・ジャパン」と称し、外国人による日本の歴史、伝統、文化の素晴らしさを取り上げるが、実態はどうなのか。体良く商業施設や水源地を含む土地の買い漁りが横行している。更には、定住外国人に対する手厚い医療保障、社会保障の陰で納税者である日本人が貧困に喘いでいる。じわり、じわりと「背乗り」手法で日本の侵略が始まっている。にも拘わらず、親中、媚中議員が横行して朝貢外交に暇がない。「今だけ金だけ自分だけ」の売国奴議員の多い事。それが内閣にまで存在するのだから、呆れてしまう。

本書243頁には「日本を救うための22ヶ条方策」と題しての、平和ボケした日本人への警告が書き連ねてある。パンダのシャンシャンの見送りに熱狂する日本人には、到底理解できない条項ばかりだろう。しかし、これは、現実の話なのだ。

日本の国土でアメリカ軍と中国人民解放軍とが、日本をめぐってウクライナのように熾烈な戦闘を繰り広げることになる。鷲は獲物を攻撃するが、まさかのパンダも人を襲撃する。本来は熊なのだから当然と言えば当然。ゆめゆめ、見かけに騙されてはならない。本書を読んで認識を改めていただきたい。

㊴『日本の軍事的欠点を敢えて示そう』江崎道朗 かや書房(月刊日本6月号掲載)

㊳『ステルス・ドラゴンの正体』宮崎正弘著、ワニブックス

・足下の台湾有事に対処するには

 

ここのところ、台湾有事を危惧する論調が増えた。中国共産党による尖閣諸島海域での常態化した領海侵犯。ロシアのウクライナ侵攻が追い打ちをかけたからだ。従前、日本国憲法は平和憲法だから、九条を守れば平和は維持できると主張していた方々も、ウクライナの現実に声を失った。ウクライナ紛争と台湾有事とが、いかにして結びついているのか、明確な答えを導きだすことのできる論者は少ない。その中国共産党による侵略の方程式を解き明かしたのが本書になる。中国共産党をドラゴン(龍)に喩え、密かな侵略行為をステルスと示した。プロローグ、エピローグに7章を加えた250ページ余はどの章から読んでも良い。しかし、第7章の「悪人と矛盾だらけの国際情勢」は必読の章だ。

数年前、韓国発祥のLINEのデータが中国に流出していることがメディアで報じられた。その後、改善策を施したとして沈静化したようだが、すでに地方自治体だけではなく、日本社会において浸透してしまったが為に、容易には廃止できないのが実情。これこそ、ステルス・ドラゴンの思うつぼだ。このLINE同様、仮想通貨も日本人の射幸心を煽り、バブル経済の再来かと思えるほど賑やかだった。しかし、プリペイド・カードと異なる仮想空間の通貨は、どこに消えたのか・・・。

第4章、第5章を読み進みながら想起したのは、中国共産党の「遠交近攻」という戦略だ。これは孫子や呉子の兵法に従ったものだが、意外にも中国共産党は古典的な兵法を遵守している。中国共産党が中華人民共和国を建国して早々、アフリカ、アジアの国々に医療支援を施していた。大陸から遠く離れた国々に医療という親切を続けていたのである。その結果、世界中がコロナの感染源は中国であるとバッシングを続けても、WHOは中国共産党擁護に徹した。なぜ、中国共産党を叩くのかが理解できないという表情のWHOだった。まさに、孫子、呉子の成功例を見るかのようだった。今からでも遅くはない。孫子は読んでおいた方が良い。「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず」だからだ。

そう考えると、第6章「『認知戦争』ではすでに負けている」の示唆する意味が十分に腑に落ちることだろう。「自虐史観」という言葉があるが、巧妙に仕掛けられた中国共産党の罠であることに気付く。短時間で効果が得られる「即戦力」という言葉に日本の経営者は弱い。十年、二十年、時には百年単位で攻めて来る中国共産党からすれば、日本の政財界に学界は、赤子の手をひねるに等しい。

最後に、第4章でのドイツ軍のレオポルト2A6戦車がウクライナ軍に提供される背景は在庫処理と著者は述べる。同時に、国連における敵国条項に記載される日本とドイツだが、戦費提供に集中する日本が、武器の現物支給を求められたらばという点も付け加えて欲しかった。それこそ「絵にかいた餅」の平和憲法と判明したからには、現実にどう対処するかが必須だからだ。

『なぜこれを知らないと日本の未来が見抜けないか』江崎道朗著、KADOKAWA

・国防には情報機関の構築が必須

まず、本書の副題にある「政治と経済をつなげて読み解くDIMEの力」に記されるDIMEとは何ぞや?と疑問を抱く。Diplomacy(外交)、Intelligence(情報)、Military(軍事)、Economy(経済)の頭文字を合わせたものがDIMEだが、この4つをキーワードに読み解いたのが本書になる。第1章から8章、終章まで250ページ余で構成されている。

本書を読み進みながら思い起こされたのは、旧福岡藩出身の金子堅太郎だった。金子は明治4年(1871)の岩倉使節団とともに渡米し、黒田家の奨学金を得てハーバード大学を卒業した。帰国後は伊藤博文の側近として帝国憲法の草案に参画し、自身も農商務大臣、司法大臣を務めた。金子は留学中、アメリカで濃密な人間関係を構築した。結果、明治37年(1904)に勃発した日露戦争において渡米。ハーバード大学同窓生のルーズベルト大統領に日本支持を要請した。ロシアとの講和条約締結においても親交が深かった全権の小村寿太郎を側面からサポート。これはまさに、著者が現今日本において必須と訴える内容と合致する。「歴史に学べ」とは、こういう事実確認ではないかと考えた。

現在日本での防衛において、喫緊の問題は台湾有事において、いかに対処するか。果たして日本は台湾に軍事侵攻する中国共産党の事を熟知しているだろうか。中華人民共和国の建国以後、中国共産党がどのような外交政策を進めていたか・・・。「遠交近攻」という孫呉の兵法に従ってのセオリーを中国共産党は行っている。これに対し、日本はいかなる方策を示したか、はなはだ、怪しい。

現在の岸田政権における反撃能力の有無は民主党政権時代の岡田外務大臣の核の持ち込み容認を追認していることは、与野党を含め、再認識しておかねばならない。更には、かつての大東亜戦争(太平洋戦争)では兵站思想が欠けていたといわれるが、弾薬などの資材を供給できる防衛産業自体も育成されているとは言い切れない。むしろ、不安要因の方が大きい。このことは、かつての満鉄(南満洲鉄道)調査部が重視していた産業基盤、統計分析が十二分に機能しなければならないという指摘と合致する。戦前は、全て悪という先入観を捨て、冷静に情勢分析が可能な精神構造を日本人は求められているのだ。そのための政府による規制緩和、学術分野の閉鎖性、民間企業の視野狭窄にまで著者は問題意識を広げている。

岸田政権において経済安全保障担当大臣というポストが設けられたが、この背景には、経済が強くなければ国防は成り立たないという著者の強い信念が潜んでいる。更には、抑止力には正面での武器使用だけでなく、総合的な情報管理がある。未然にリスクを回避する手段だが、この前例が冒頭で示した金子堅太郎である。本書を読み進みながら、考えることは多く、敗戦後の日本からは大きく環境が変貌していることを日本人に知らしめる書である。

㊱『亀井昭陽と亀井塾』河村敬一著、花乱社

・立場を弁えた人のありがたさ。

福岡市中央区地行の浄満寺門前には、「亀井南冥 昭陽両先生墓所」と刻まれた大きな石柱が立っている。福岡市中心部を東西に走る幹線道路の明治通りに寺は面している。それだけに、多くの方に認知されて良いはずだが、さほど市民の関心を集めているとは言えない。「あの国宝金印の解説をした亀井南冥」と付け加えると、合点がいくようだ。しかし、昭陽となると郷土史に踏み込んだ方でなければご存じで無いのが悲しい。本書は、その亀井昭陽を中心に、亀井塾の生成について述べられている。しかしながら、その前に、亀井昭陽(一七七三~一八三六)という人は亀井南冥(一七四三~一八一四)の嫡子であることを述べておきたい。

まず、四部構成140ページ弱の本書は手に取りやすい。しかしながら、その内容と言えば、荻生徂徠の古文辞学なることを知らなければ読み解けない。だいたい、「こぶんじがく」と読むのか、「こもんじがく」と読むのかすら判じがたい評者にとって、亀井昭陽の存在は遠い。ところが、二部の「昭陽の人柄と学問」以降は、亀井南冥を祖とする亀井の学問の基本的な物事の考え、教育方針が浮かび上がる。豊後日田・咸宜園の廣瀬淡窓による人物、学業の紹介は、とてもありがたかった。それはそのまま、本書の最終に登場する「男装の女医」として著名な高場乱の生き様を彷彿させるものだからだ。人には夫々、個性があり、その個性に応じて社会を形成する集合体の一人であるべきとの考えが、「なるほど!」と腑に落ちる。更に、「下々の苦しみを自らの苦しみとして世話する心」は、自由民権運動団体・玄洋社の思想にも重なってくる。やはり、玄洋社のルーツは亀井塾にあるのだと確信できる。高場乱が昭陽の嗣子である亀井暘洲を介して、亀井塾の考えを継承していたのだった。そう考えると、昭陽が不遇の日々を耐え忍び、亀井の学問を次につないだ功績は大きい。

第四部に「亀井塾に連なる人々」として亀井の門人である七名が紹介されている。先述の高場乱もその一人だが、この七名の他、評者の希望としては阪牧周太朗(高場乱の従兄弟)、権藤延陵(廣瀬淡窓の執刀医)、白水常人(福澤諭吉の師)も加えて欲しかった。しかし、本書にも述べられているように、亀門こと亀井塾の門人帳が完備されているわけではない。門人たちの活躍とその系譜を次作に期待したい。

㉟『作戦術思考』小川清史著、ワニブックス

・理想のチームを作るために

 

戦略、戦術という言葉は、今や企業のマーケティング手法に当然のように登場する。しかし、「作戦術」とは何なのか、ましてや「作戦術思考」とは何だろうと思い、本書を手にした。著者が陸上自衛隊元陸将だけに、軍事における新しい作戦のノウハウ書なのかと見たのは甘かった。第一章のページには老舗アパレルメーカーでの研修体験が述べられているからだ。おやっと、思いながらも読み進むと、日本企業にありがちな社風に疑問を抱く話に、共感を抱く。本書は市場を制圧するための「全体最適」を判断しなければならないチーム・リーダー必読のビジネス書だ。JAL、ゆうちょ銀行を事例にしての話には、「なるほど、なるほど」と腑に落ちる箇所が幾つもあった。

第二章では陸自陸将としての経験から、「作戦術」が要点を押さえながらも簡明に述べられる。アルビン・トフラーの「第三の波」を参考にしながら、波とは状況変化、環境変化をいち早く理解し、いかに適用させるかを説いている。要は、マーケットの変化をつかみ、それに組織が対応して市場を制圧するが、インテリジェンスが機能しなければ有効に機能しない。現今日本は、インテリジェンスに機敏だろうかと懸念する。

第三章はリーダー・シップ論だが、東日本大震災での安倍元首相の対応、判断が的確であったことは評価しなければならない。しかし、企業も軍隊も「勝つ」という目的での組織運用が著者の実体験を基に語られる。その集約が第三章146ページだ。更に、第四章において「作戦術」の応用編ともいうべき思考法についての解説では162ページの「問題のルーツは明治維新にまでさかのぼる?」は日本社会の硬直した組織の原因分析だけに「なるほど!」と腑に落ちたのだった。同時に、本質を見抜く力の必要性を説いているが、これは日本人の学校教育の弊害を気付かされる。

情報化社会における生き残りの方法が「作戦術」であるとの著者の視点は参考になる。とりわけ、第五章の事例集は企業の管理職者は必読ではなかろうか。全五章、238ページはスラスラ読めるが、頭の中では新たな刺激を得てクルクルと考えが回っていた。『陸・海・空 究極のブリーフィング』小川清史、伊藤俊幸、小野田治、桜林美佐、倉山満、江崎道朗 共著において、著者は「作戦術思考」の片鱗を語っていたが、本書はビジネス・バージョンに落とし込んだところが秀逸だった。

㉞『オンライン脳』川島隆太著、アスコム

デジタル・デトックスに遅れるな!

本書の著者は東北大学加齢医学研究所所長を務める脳の研究者である。全5章、230ページ余は文字も大きく、読みやすい。しかし、読み始めてからは戦慄が走る。スマホによる弊害が、次々に紹介されるからだ。著者は、日本人、日本の将来を考えると、是非ともデジタル・デトックスをと主張する。つまり、スマホを含むデジタル化によって人々が薬物障害に陥ったと同じ環境にあり、「治療によってデジタル薬物を抜く」ことを提唱しているのだ。そのデジタル薬物が、人間の脳にどのような悪影響を及ぼすかを様々な実験によって解説していく。

そもそも、人間の脳は生き抜くための智恵を遠い祖先から受け継いでいる。その脳が、自身の危機的状況すら判断不可能になっている。その象徴的な現象として、新型コロナの感染状況が落ち着いたことからマスク着用を自主判断でとなった。ところが、この自主判断ができない人が出てきたのだ。誰かの指示が無ければ、一歩たりとも動けない。この背景に何があるのか。それは、スマホが生み出す「情報のドーパミン(快楽)」によって、脳そのものが機能しなくなり、求めれば即座に答えが返ってくるスマホに頼ってしまうからだ。楽を求め、脳が働かない。この危険な状況に著者は警鐘を鳴らす。

「活字離れ」が叫ばれて久しい。新聞を購読する世帯が減少し、書籍を手にしない人々が増加した。新聞不況、出版不況と言われるだけで、その原因究明には至っていない。ところが、この「活字離れ」の現象と軌を一にするのが携帯電話であり、手軽に持ち運べるインターネット機能のスマホの登場だった。利便性の追求は、脳の退化を招き、文字による理解を拒否しているのだ。更に、生き抜くために脳に蓄積されたコミュニケーションという機能が破壊されている。これは早急に手を打つべきだ。

すでに、欧米のITテクノロジーの先駆者たちは、スマホの利用制限を自身の子供たちに課している。このことは、大いに注目し、実践すべきだ。著者は「スイッチング」という言葉で、集中力低下について第3章に具体的に述べている。子供の知能低下の原因がスマホであったとするならば、親はどう対応すべきか、答えは明確だ。

欧米企業では業務をオンラインから直接の対面型(オフライン)に移行することで企業業績が向上しているという。日本でもオフラインに移行すべきだが、手始めに、社員食堂の充実を図ってみたらどうだろうか。安価で美味しい給食を企業が提供することで対面型が増え、企業業績が増加するのであれば投資に見合うだけの効果があると考える。

企業の業績回復は、デジタル・デトックス(オンラインからの離脱)からというが、それよりも今、もっとも深刻な問題は若者の自殺だ。この背景にも、オンラインによるコミュニケーション不足が介在してはいないか。少子化を問題にする以前に、まずは若者の自殺防止に着手すべきだ。最初になすべきことは、このデジタル・デトックスだが、その対処法も本書の第5章に付されている。参考にされたい。

㉝『スマホ脳』アンデシュ・ハンセン著、久山葉子訳、新潮新書

・健全な社会にしたいのならば、今すぐスマホの利用制限を

現役の大学生、OBを集めた団体の講演会に招かれた。その講演者は、某新聞のネット配信担当部署の編集者だった。講演の冒頭、新聞を読んでいる人、いない人について挙手を求められた。学生で新聞を読んでいる者は皆無。そこで、この講演者は、新聞購読が減少するなか、ニュース配信という社会的使命としてスマホによる配信を促進しているという。我田引水ではなかろうかとの疑問を抱きながら話を聞いた。新聞がインターネットでニュースを配信するようになったのは、平成8年(1996)からという。さらに平成19年(2007)にスマホが登場し、これでライフスタイルが変わったと断言する。新聞社側からすれば、スマホの普及により社会の末端の情報収集力が増し、配信しやすくなったという。しかし、この解説を聞きながら、スマホでの広告収入が新聞社の収益を増している現実からして、詭弁に思えてならなかった。

そんな講演を聴いた後、別の講演会でスマホの普及に警鐘を鳴らす話を聴いた。そこで、早速に手にしたのが本書である。著者はスウェーデンの精神科医だが、早くから『一流の頭脳』という世界的ベストセラーを著したことで著名な人だ。論理的に、人間の進化と脳の発達について、全10章、250ページ余、簡明な言葉で説明がなされている。人間が不安を抱くのは、危険な状態をいかに回避し、生き抜いて来た結果である。人間の脳は悪い噂が好きというのも、その情報収集の癖からのものという。その脳には、経験したことのないダメージがスマホなどの機器によって加えられているという。

すでに、インターネットの登場により、SNSでの弊害がニュースになるほどだが、つい、目先の利便性に誘われスマホに手を出す。表現は悪いが、習慣性薬物の変形がスマホであり、脳の退化に繋がっている。脳は文章を書くだけではなく、生き延びるために発達したが、このままではインターネット環境から抜け出せない人間は死滅する可能性すらある。

本書を読みながら思い起こしたのは、パチスロである。昼間、大人たちは大挙して「ラッキーのドーパミン」を求めてパチンコ店に押し寄せる。新型コロナ感染に怯え、外出自粛を求める時期でも、パチンコ店は平常に営業していた。あのパチンコ店は、年齢制限、時間制限が設けられている。さすれば、スマホも、年齢制限、時間制限を設けるべきだ。特に、学校でのスマホ利用を制限したら成績がアップしたという箇所は、幼い子供を抱える親たちに伝えるべきだ。本書に合わせて、柳田国男著『壊れる日本人』を読了することを薦めたい。平成19年(2007)当時から、日本人の脳を破壊するものとして過剰なインターネットの利用に警告を発していたものだ。

本書を読了し、早速、SNS関連の接続時間の制限を試みている。

㉜『第三次世界大戦はもう始まっている』エマニュアル・トッド著、文春新書

・歴史人口学からの分析に感心する

 

本書はフランスの歴史人口学、家族人類学を研究するエマニュアル・トッド氏のインタビュー集。氏は人口動態によって旧ソ連(ロシア)の崩壊を予測したことでも知られる学者。

その氏の語る内容は大きく4つに分類され、節ごとに興味深い見出しがつけられている。

 1.第三次世界大戦はもう始まっている

 2.「ウクライナ問題」をつくったのはロシアではなくEUだ

 3.「ロシア恐怖症」は米国の衰退の現れだ

 4.「ウクライナ戦争」の人類学

読み始めて驚くのは、日本のメディアで流されるウクライナ情勢とは真逆の事々が述べられていること。トッド氏は、「この戦争は、イギリスとアメリカが仕掛け、EUがロシアを問題化した」と決定づけている。氏の述べる事々は、別ルートで評者が入手した内容と合致するものだった。更には、EUが問題化した点については、EU議会が2019年に旧ソ連(ロシア)を「侵略国家」だと決議した事にも見てとれる。

そもそも、トッド氏が述べるように、ウクライナ自体が「国家」の体を成しておらず、ウクライナ東部のロシア系住民は早くに極東ロシア(ウラジオストックなど)に避難していたが、この人口流動についても氏は分析を加えている。

『孫子』の兵法にも、資源を持つ国とは戦争をしてはいけないと教える。ロシアの天然ガス、石油、肥料などがEUの中心にいたドイツに入らず、身動きがとれなくなったドイツのロシア批判がトーンダウンしたことに見て取れる。更に、ウクライナ紛争といいながら、実質、イギリス・アメリカがウクライナを「盾」にしてロシアと戦っている構図が浮かび上がる。

着地点の見えないウクライナ紛争だが、ドローンなどの無人兵器が使われ、未来の戦争の在り方を目撃しているかのよう。ここで意外な動きを見せるのがポーランドだ。下手すれば、ポーランドはドイツの支援を受けてウクライナに軍事侵攻する可能性がある。ロシアがウクライナ東部のロシア人保護を主張したのと同じく、ウクライナ西部のポーランド人保護を名目に軍事侵攻すると予測されているのだ。こうなると、あの欧州大戦こと第一次世界大戦の二の舞となる。トッド氏が本書のタイトルに「第三次世界大戦」という言葉を冠したのも、的外れではない。「人口」という切り口で、氏がここまで世界情勢を分析できることに驚くしかなかった。

尚、ポーランド情勢については『インテリジェンスと保守自由主義』(江崎道郎著)が参考になる。ウクライナ紛争直前に、江崎氏がポーランドの現地調査を行った内容だからだ。冷静な判断を下すには多方面の情報(インテリジェンス)が必要であることが理解できるだろう。

㉛『陸・海・空 究極のブリーフィング』小川清史、伊藤俊幸、小野田治、桜林美佐、倉山満、江崎道朗 共著

・戦前も今も、国防予算を確保するのは一苦労

 

令和四年(二〇二二)末、岸田首相が防衛費の増額を表明した。年初のロシアによるウクライナ侵攻に着地点が見えないことが影響しているのだろう。この防衛費増額に対し、アメリカからの圧力で、武器弾薬を購入するための口実である、税収の目論見はあるのかなど、多くのメディアは否定的に報じる。しかし、ウクライナ紛争以前から、日本を取り巻く環境はロシア、中国、韓国との領有権争いがあり、加えて北朝鮮によるミサイル発射が続いていた。いわゆる「平和」をむさぼる日常を維持するのが困難であるとの岸田首相の発言だ。

本書は、インターネット配信番組「チャンネルくらら」の内容に補記、補足したもの。当然、岸田首相の発言以前のものを基本にしてのものだ。全七章、300ページ余の本書は、映像、音声の記憶を文字によって論理的に再確認できるものとなっている。読み進みながら、「専守防衛」ではない複数の国々に日本が取り囲まれている事が理解できる。従前、「戦争」という言葉を目にするのも、耳にするのも嫌という方々が多数だったが、現実を直視しなければとの息遣いが感じられる。何も考えず、「反対」を叫ぶだけで、「平和」を享受できた方々には、信じられない現実だろう。

大変失礼なことを承知で言えば、自衛隊の将官クラスの方々が「ランチャエスターの法則」や「MBA」などの経営分析用語を当然のように使っておられることが驚きだった。この将官クラスの発言の事々を企業経営に当て嵌めてみれば、経営トップの優れた参考書になるとすら思った。「カネが無ければ戦争はできない、継続できない」というのは、中国の春秋戦国時代からの鉄則だが、翻って、経営分析能力が無ければ、戦闘行動は起こせないし、国家国民を守る事すらできないということになる。

そういった観点からみた補章での映画「トップガン マーヴェリック」の解析が素晴らしい。空母、艦載機、パイロット、運用に至るまで、各将官の方々の細かな観察眼は、興味深いものだった。映画はフィクションが混在するが、それを承知の上での分析に「なるほど・・・」と感心した。

なぜ、アメリカがウクライナにパトリオット・ミサイルを供出するのか。なぜ、日本がトマホーク・ミサイルの購入を検討するのか。時代遅れ、型が古い、と批判するよりも、本書を参考に考えてみるのも一つの手段と思う。すでに、武器が有人から無人へと変化している現代、防衛費の増額は周辺国を刺激するとの識者の論は古い感覚論でしかないことが理解できる。

軍事は不得手でと言う前に、まずは一読して、防衛予算について論じたら良いと考える。更には、財務省が世界の意識変化をどのように捉えているかも参考になる。

㉚『ウイグル人と民族自決』サウト・モハメド、集広舎

・中国に侵略されたウイグル人の現実は、将来の日本人の姿

 

現在の中国(中華人民共和国)地図に新疆ウイグル自治区と記された箇所がある。その周辺には、カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、パキスタン、アフガニスタンという国々があり、それぞれの国名の後ろに「スタン」という文字が確認できる。もともと、新疆ウイグル自治区は、東トルキスタンといって、現在の中国とは異なる民族、文化、歴史を持つ国だった。それが、なぜ、中国の領土に組み込まれているかといえば、石油などの地下資源があるからだ。地下資源のみならず、品質の良い綿花も栽培されており、潤沢で無償のウイグル人という労働力もある。更には、核実験場として、中国人からすれば都合の良い「実験動物」のウイグル人もいる。実験動物といえば、綺麗な内臓を持つと評判のウイグル人の腎臓、網膜などは、中国の輸出産品として移植を求める地域へと送られる。

 本書は、東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)が、いかにして中国に侵略されたかを証明する書である。330ページ余、全6章、27節からなる本書は、家族も故郷も捨てた代償として著者が後世に遺したいとして書き上げた大部だ。平常、アメリカの動向ばかりを窺っている日本からすれば、東トルキスタンの現実は他人事かもしれない。

日本の敗北後、占領軍はプレスコード(検閲)によって、日本の歴史のみならず、他国の歴史も歪曲して日本人に伝えた。しかも、内政不干渉というルールも設定し、人道的な忠告も不可能。その結果、巷間、私たちが教わってきた歴史からは知りえない史実が本書に綴られている。それはそのまま、中国にとって都合の悪い歴史であり、日本人には決して伝えてはならない史実でもある。

ちなみに、独裁政治に反対する方々にも本書は必携の一書だ。なぜならば、ウイグル人の悲劇を世界に伝えた四コマ漫画の作者・清水ともみ氏(『ウイグル人という罪』(清水ともみ、福島香織、共著)も著者のサウト氏に頻繁にアドバイスを求めたほどだからだ。

しかし、日本にとっても、本書で見逃してはならない箇所がある。それが第五章「『少数民族』弾圧の根源」の第二節「地政学上の考え」だ。今も日本と中国、韓国、ロシア(ソ連)との間では領土問題が取りざたされる。その根源が述べられているからだ。この節には、イギリス、アメリカ、ソ連(ロシア)、中国という超大国の都合によって領土分割、切り取りを決めた「ヤルタ密約」が示されている。この「ヤルタ密約」によって、日本のみならず、大国に挟まれた東トルキスタンが中国に侵略された根源があるのだ。欧州大戦こと第一次世界大戦後、ベルサイユ条約が締結された。その際、国家間の秘密外交は禁止との話し合いがなされたにも関わらず、「ヤルタ密約」のように、目の前に獲物があればルールを無視するのが大国の常。

東トルキスタンの現実を対岸の火事と見るか、はたまた自国に降りかかる災難と予見するか。本書を熟読して考えて欲しい。

㉙『ウイグル人という罪』清水ともみ、福島香織著、扶桑社

・対岸の火事として眺めていては、やがて火の粉が飛んでくる。

 

中国(中華人民共和国)の海洋進出、台湾有事が国際問題となって久しい。中国企業、イコール、中国共産党の戦略に添ってのチャイナ・マネー流入がおびただしい日本において、政官財ともに中国を刺激してはいけないという風潮が強い。そのため、目前の利益に惑わされ、国家百年の計が立たないのが現状だ。その国家百年の計を見落とせば、どうなるか。それを本書が警告している。

全13節、200ページ近い一書だが、伝える内容は実に身の毛もよだつ恐ろしい話ばかり。福島香織氏の取材内容をもとに、清水ともみ氏の漫画が実情を淡々と描いている。この淡々と描くところに、言葉や映像では伝えきれない深い悲しみが潜んでいる。

新彊ウイグル自治区こと東トルキスタンの人権弾圧については、ユニクロ製品の不買運動が日本にも波及した。中国共産党幹部によるウイグル人への奴隷労働の実態が日本社会に浸透したからだ。「安い」ということだけで、使い捨て商品のように身にまとっていた衣料が、実は中国共産党幹部の蓄財に協力していた事実。その陰で、膨大な員数のウイグル人が「教育」という名の下で酷使され、強制的に労働へと駆り出されていたのだ。まるで、ナチス・ドイツのユダヤ人収容所と同じ。さすれば、習近平は現代のアドルフ・ヒトラーか。

本書を読み進んでわかるのは、ウイグル人たちが自身の親兄弟、家族を人質という犠牲にしてまでも、ウイグル人のためにとして日本人に支援を求めていることだ。アメリカを始め、欧米諸国が中国共産党のウイグル人弾圧を糾弾しても、日本の政財界は動かない。中国共産党に牛耳られているからだ。しからば、無駄でも、市井の日本人に中国共産党によるウイグル人の人権弾圧を知ってもらいたい。声を上げて欲しいと願ったのが本書である。広く、一般に普及する目論見からも、漫画を使ったのだ。

そして、何より、東トルキスタンが中国共産党に侵略され、資源も何もかも奪われている現実が日本に周知されることを、二人の著者は叫んでいる。この危機は、フィクションの世界で起きているのではない。このことを、一人でも多くの日本人が声に出すことで、マスコミが中国共産党を批判することを願っている。

まず、日本人が、この現実を知り、声を大にすることが必須。これが日本の市民の責務である。なぜならば、今、東トルキスタンが置かれている立場は、やがて、日本にも降りかかる可能性が大きいのだから。失ってからでは、遅い。ウイグル人は、必死に、そう日本人に呼び掛けているのだ。

㉘『光陰の刃』西村健著、講談社文庫

・織りなす糸の如く暗殺する者、される者の運命が交差する

 

上巻、下巻を合わせ、序章に始まり、終章まで全十五章、八四〇ページ余にわたる本書は、どのように読み進めてよいやらと、一瞬、戸惑いを覚える。三井合名会社理事長の團琢磨を狙う血盟団の首領である井上日召との物語ならば、心して読み進めねばと覚悟を決める。しかし、そんな杞憂は無用だった。ストーリー展開の面白さに、ページをめくる手が先へ先へと急かせる。この昭和七年の血盟団事件の結末もわかっているのに、だ。

本書の主人公である團琢磨は明治四年(一八七一)、金子堅太郎とともにアメリカ留学を果たす。蘭癖大名の異名をとった旧福岡藩主の黒田長溥の命によるものだった。團と金子は、後に義兄弟の関係になるが、勇躍、アメリカを目指した頃、そんな将来も、ましてや互いに日本の歴史に名を刻む関係になるとは思いもしなかったことだろう。

團琢磨に関しては、東京・護国寺の本堂左手の墓所、團伊能、團伊久磨などの子孫の名前、福岡県大牟田市の中核を成す三井三池炭鉱の開発事業に関わった人物という認識程度。しかし、俄然、井上日召の前半生と交互に描かれることで、当時の日本の置かれた状況が如実に浮き上がるのだった。個人的な恨みは皆無。しかしながら、日本の革命を成就するためには、そのターゲットになってもらわなければならない。まるで、続いて起きた五・一五事件において標的となった犬養毅との関係性を見るかのようだった。

この血盟団事件において、井上日召が頼ったのが玄洋社の頭山満であり、暗殺された團琢磨と頭山満は同郷の関係だ。続く五・一五事件では頭山満の嫡男である頭山秀三が事件に連座し禁錮。暗殺された犬養毅と頭山満は盟友関係にあった。本書下巻の最終章に差し掛かった際には、どうしても、五・一五事件が頭から離れなかった。「ボタンの掛け違い」などという簡単な事情では済まされない。実は、人間は見えざる糸に操られて今生を過ごしているのではないかとさえ思える。

その織りなす糸の縦糸と横糸を演じるのが、山海権兵衛と富士隈辰之助だ。史実を述べるノンフィクションには無い展開を、この二人の人物を加えることで躍動感が増し、ついつい、先を急がせる絶妙な役回りを演じる。

いかに情報が潤沢に出回る時代になったとはいえ、人間の運命には何ら一片の化学反応も示さない。さすれば、老子のいうところの自然の「無為」に従った方がよいのか。ストーリーの波に遊ばれながら、頭の片隅で、そんなことを考えていた。奥深い、「何か」を気づかせてくれる物語であるのは確かだ。

㉗『負け戦でござる。』小野剛史著、花乱社

・敗者となった十二名の生きざまを笑えるか・・・

 

本書は豊前国を舞台に、敗者となった十二名を取り上げている。豊前国とは、瀬戸内海に面した現在の福岡県、大分県域にあたる。物語の始まりは天平九年(七三七)のウイルス感染症蔓延が要因となって敗者となった藤原広嗣から始まる。以下、平清経、杉重良、宇都宮鎮房、後藤又兵衛、毛利勝永、細川興秋、佐々木小次郎、犬甘兵庫、小宮民部と続き、明治初年の郡長正、杉生十郎である。およそ一千年余にわたる敗者列伝ともいうべきか。

この十二名の中で、小宮民部、郡長正については拙著『維新秘話福岡』でも扱った人物だけに、新たな事実が発見できるのではと思い、関心をもって読み進んだ。幕末、長州藩との戦いにおいて小倉城を自焼した指揮官が小宮民部だが、後世、城が再建されて観光名所になるなど、想像できただろうか。維新によって会津藩は賊軍の汚名を蒙り、その残された子弟は苦渋の生活を強いられた。そんな中、故郷から遠く離れた豊前の豊津に留学し、自刃した郡長正など、ただただ、哀れに思えて仕方がなかった。地元豊前の方々によって、墓碑が整備されていることが救いだった。

本書の6ページに、「豊前国略図」が示されている。古くからの豊前国の版図を示しているが、豊前といえば福岡県、豊後といえば大分県と思ってしまう。しかし、大分県宇佐市には「豊前」を冠する駅名が残っており、隣接して豊後高田市があり、ややこしい。この複雑に入り組んだ地図に勝者と敗者の力関係が如実に表れている。本書をもって一千年余にわたる人間模様を俯瞰すると、人間の本質に何ら変化がないことが見て取れる。裏切り、謀略、報復という権力闘争の成れの果てが本書の十二名である。

「あとがき」を読了する。本書の読者である我々も敗者であることに気づかされる。新型コロナウイルスの登場により、闇に塗り込められた問題点が表に登場し、政府、マスコミの発する報道に縦横無尽に翻弄された。まさに日本全体が敗者そのものとなったのだ。その敗者の姿を記録することは、現世から後世の人々に人間の本質を提示する啓蒙書となりえる。その一つの試みが本書である。そう考えると、郷土史ではなく日本国史として本書は扱わねばならないと考えたのだった。

㉖『「明治十年丁丑公論」「痩我慢の説」』福澤諭吉著、講談社学術文庫

・時代の一点だけを捉えて、その人物をレッテル貼りすると真実は見えない

 

本書は「明治十年丁丑公論」「痩我慢の説」「旧藩情」の三部からなる、福澤諭吉の評論である。

まず、「明治十年丁丑公論」だが、この題名にある「丁丑(ていちゅう)」とは、十干十二支でいう十四番目の年のことを指す。元号とともに十干十二支を併記することで、年という時間経過を認識していた時代の名残だ。ゆえに、ここでは明治十年(一八七七)の西南戦争後の世評を述べている。

この論では、新聞紙上で西郷隆盛を批判することを、福澤が批判している。維新の功労者として西郷隆盛を評価したにも関わらず、掌を返すが如く、親の仇のように、西郷を叩き潰す。この様に、節度が無いと憤慨している。同時に、西郷が文武の武によって政府批判をしたことを福澤は咎めながら、西郷の尊皇精神は称賛するのである。道を間違えた為政者を批判するのは当然として、しかし、西郷が武によって起った事を福澤は批判し、返す刀で西郷を追い込んだ政府に責任があると言い切っている。言論弾圧下の明治期、福澤はこの論を後世へと書き残したのだった。

次に、「痩我慢の説」だが、これは、幕臣から新政府の要職に就いた勝海舟、榎本武揚に送り付けた糾弾の説である。同時に、福澤は、この内容を木村芥舟など、ごくわずかな人に開示している。ここでいう木村芥舟とは、幕末、咸臨丸で太平洋を渡った際の責任者であり、この時、勝海舟は咸臨丸の艦長であり、福澤は、木村の随員という形だった。いわば、同じ艦に乗った仲でありながら、今は呉越同舟の関係ということだ。

武士の世界は「二君に仕えず」という掟にも似た規範があったが、勝海舟、榎本武揚は徳川幕府の禄を受け、新政府が樹立すると、その新政府の禄を受けた。二君に仕えたことが世の中のモラル崩壊につながるとして、福澤は両名を批判したのである。これに対し海舟は、「いささかも相違なく、自身の行動責任は自身が負う。この内容を公表されても構わない。」と返信し、榎本は多忙につき後日とその場を取り繕った。

この福澤の挑戦状ともいえる「痩我慢の説」を読みながら、福澤の半生記を述べた『福翁自伝』を思い出した。福澤は、「封建制度は親の仇」とまで言い切った。が、しかし、「痩我慢の説」とは矛盾しないだろうか。封建制度を批判しながら、武士の在り方を問題にしたからである。この件に関しては、今一度、多角的に福澤の環境、考えを検証しなければ分からない。

最後の「旧藩情」は、福澤が属した中津藩(現在の大分県)を事例に封建制度の矛盾を述べたものである。同じ武士でも上士、下士によって待遇が異なり、下士は下される禄だけでは食えず、内職が必須。具体的な数値を挙げて、その矛盾を開示している。本書全体を通読して、これは、維新の目的を考える材料と思った。

尚、本書や『福翁自伝』だけでは福澤の実態を知ることは難しい。博多・萬行寺の住職七里恒順と福澤とは交流があった。七里の言行録などが参考になるのではと考える。

㉕『福翁自伝』福澤諭吉著、岩波文庫

・福沢の独立独歩は母親譲りか

 

 随分と昔、本書を読んだ記憶がある。しかし、記憶ほどいい加減なものはないので、再読に及んだ次第。読み返したいと思った一番の要因は、萬行寺(福岡市博多区)に遺る福澤の書簡を目にしたからだった。なぜ、浄土真宗の寺院に福澤の手紙が遺っているのか。あて先の七里恒順という住職と福澤とは、どんな関係だったのか。

 福澤は言わずとしれた慶應義塾大学の創立者。様々な評論も出ているので、いちいち紹介する手間も不要。しかしながら、この七里恒順は浄土真宗の寺院の息子として越後(新潟県)に生まれた。その後、各地の寺を巡りながら修行を続ける。その過程で豊前中津(大分県中津市)の寺に行きつき、青年期の福澤と知り合う。本書にも述べられているが、福澤の実母は敬虔な真宗信徒。精神に異常をきたした乞食女を自宅に引き入れては、髪をすいて虱をとる。その虱退治を福澤は手伝わされる。その面倒くさい作業が終わると、福澤の母はその乞食女に食事を与える。まるで、そのことが功徳を積むかのように。

 この青年期、福澤は七里恒順ら僧職にある者たちと論争を繰り返していた。七里の名前は記載されていないが、福澤は中津の僧侶らと論争を繰り広げていた。その中の一人が博多の萬行寺の住職になった七里。七里は博多の衆から崇められる徳の高い坊さんだった。その言行禄である『梅霖閑談』(元治元年五月)に福澤との問答の様子が述べられている。宗教心が足りないと福澤に諭す七里。福澤が自伝の中で七里の事を記さないのも、よほど、宗教心の欠如が悔しかったのだろうか。それでいて、文久二年(一八六二)一月、福澤はコロンボ(現在のスリランカ)から七里に仏跡についての手紙を送る親切も見せる。福澤にとって二度目の海外渡航の途次だった。論争する福澤。親切に手紙を送る福澤。矛盾しているようだが、そのいずれもが福澤の本性。人一倍負けん気の強い福澤だが、そうでなければ、あの激動の時代を乗り切ることはできなかっただろう。

 後年、『痩せ我慢の記』として著した勝海舟批判の萌芽が咸臨丸で太平洋を横断した際にあったことを本書で知る。体質的に船酔いする海舟に比べ、猛烈な嵐の海にも耐えた福澤。海の専門家と自慢する海舟を口ほどでもないと見下す福澤。この両者の猛烈な闘争心が、近代日本の礎となったことを知るべきだろう。更には、対立する福澤諭吉と勝海舟が明治十年の西郷隆盛の決起を擁護しているのも興味深い。

 ちなみに、福澤の母は浄土真宗の信徒であっても群れないことで知られる。福澤の独立独歩は母親譲りなのか。

㉔『連帯綾取り』三浦隆之著、海鳥社

・都市の発展史から、何を考えるか

 

『連帯綾取り』という、何やら意味不明のタイトルの表紙には、渡辺与八郎と松永安左衛門の写真が描かれている。明治期の福岡・博多の町の発展に寄与した両者の間に、何か秘密の連帯責任の負債でも存在したのかといぶかる。

 本書は全十章に渡って、かつて福岡市内を走った路面電車の発展史が述べられる。路面電車というより「チンチン電車」といった方が、福岡博多の衆にはわかりやすいかもしれない。福岡市営地下鉄が営業開始する以前、市民の足はチンチン電車か西鉄(西日本鉄道)バスが主流だった。やがて、モータリーゼーションとなり、チンチン電車は交通混雑を招く厄介者といわれた。しかし、筆者にとっては、チンチン電車は「博多どんたく」の際の花電車のきらびやかな姿が思い出深い。

 このチンチン電車の敷設にあたっては、なかなか、簡単にはいかなかったようだ。道路の拡張にともなう用地買収、電力需給、営業路線の確保など。明治時代初期、煙を吐いて走る蒸気機関車にすら、嫌悪を露骨に示した日本人である。煙を吐かない電車といえども、何かと感情を露わにするのが当然の時代だった。そんな中、時代の先を見据えて、都市の発達は産業の発達として渡辺与八郎は動いた。同時に、後年、「電力の鬼」の異名をとる松永安左衛門も動いた。互いに産業界のライバルであり、同時に先見性を認め合う関係ではなかったか。

 その両者が、事業ではなく、相撲という形で相対したエピソードは面白い。142ページから始まる「惜別の楊ヶ池」がそれになる。そもそも、その楊ヶ池自体、現代の福岡市内のどこに存在したのかも不明だ。しかし、調べてみると福岡市博多区店屋町の「博多渡辺ビル」がその一帯であったことがわかる。現在、福岡市中央区天神から南へと進み、ホテル・ニューオータニ博多、九州電力の間の通りを「渡辺通り」と呼ぶが、その名称のもとになったのが渡辺与八郎である。通りの名称の知名度が高いため、渡辺与八郎の活動拠点がどこであったのか、容易に結びつかなかった。しかし、本書を読了して、合点がいったのだった。

 本書は、福岡博多の発展に寄与した渡辺与八郎、松永安左衛門の話でありながら、著者の先祖の家業が連帯保証によって没落した話が綾取りのように織り込まれている。それでいて、かつての福岡博多の町を走っていたチンチン電車を彷彿しながら、思い出深い光景を蘇らせてくれるものだった。

今や立体的に天に向けて発展する福岡市だが、かつて線として、面として発展していった歴史を振り返る話でもある。ここから何を感じるかは、読者それぞれの課題である。

㉓『管子』松本一男訳、経営思潮研究会

・百家争鳴、諸子百家の先輩の言葉

 

 本書は孔子(紀元前552~紀元前479)が生まれる前の斉の宰相・管仲の言葉を集めたもの。管仲といえば、今も諺として遺る「管鮑の交わり」の管仲のことだ。斉の国が後継者を巡って分裂し、管仲と鮑叔はそれぞれ親友でありながら敵味方に分かれた。そして、敗者の側の管仲は鮑叔の薦めで勝者となった斉の桓公に仕え、群雄割拠の時代、斉を強国に仕立て上げた。

 その管仲が説いた「大匡」「中匡」「牧民」「形勢」「権修」「立政」「乗馬」「軽重」「重令」「法令」「五輔」「七法」「枢言」「覇言」「小称」という十五編で構成されている。「牧民」に示される十一経(十一の原則)は、農業を主体とする時代の統治について述べている。いわば農本主義の基本ともいうべきもの。「立政」における「九つの邪説」は、管仲による対立する思想家の考えを簡略に否定する事々が記してあり、興味深い。「非戦論」「兼愛思想」「無為長生の思想」「民本思想」「多数決主義」「情実万能」が批判の中心になるが、百家争鳴の一端といってもよい。「乗馬」において傾聴に値するのは、「需給バランスの調整ができないのは、道を守っているとはいえない」という主張だ。六里四方の土地を「社」という単位にまとめ、「社」の中心に「村」があり、「央」という場所に「市」が立つという考え。民の生活を安定させる考えだが、これは開発、再開発と称して出たとこ勝負を進める為政者に聞かせたい内容だ。「軽重」では、通貨の統一(価値の統一、量目の統一)が国の統一につながり、このことは、災害時での税負担の公平性を保つことができるという事例も紹介されている。昨今、仮想空間での通貨の取引が盛んだが、この仮想通貨は税負担の公平性という観点からすれば利得者を増長させる手段でしかなくなる。「七法」においては、物質的な基礎を作る、いわゆる衣食住の確保、提供が国防上の必勝の条件であると説く管子の思想は、盤石の防衛体制を構築する基本が国家国民の生活の安定にあることを示しているのは傾聴すべきことだ。

 そして、「枢言」での「凡そ国の亡ぶるや、その長ずる者(為政者)を以てなり」という言葉は、現今日本の為政者には耳が痛い事だろう。他国を侵略もしない、させない、原理原則は「徳義」と『管子』は説く。果たして、現今日本の為政者、似非人権擁護者らは「徳義」という言葉の意味を理解できるだろうか。為政者にとって耳の痛い忠告の書ともいうべき内容だが、もし、この『管子』が日本にも普及していたならば、近代日本においてマルクス経済主義などという主義は蔓延しなかったのではと考えることがある。

 とはいえ、本書の最終では、末期の床にある管仲が桓公に忠告した話が紹介される。賢人の策を実行しなかったために、桓公は臣下に殺される。政治の頂点に立つ者は、いかにあるべきかを明示した話で締めくくられる。中国古典を再学習するという傾向がみられるが、戦国ならぬ波乱の時代を迎えたということなのだろう。

㉒『遥かなる宇佐海軍航空隊』今戸公徳著、元就出版

・兵どもが夢のあと

 

母が里帰りの時、小倉(北九州市)から柳ヶ浦(大分県宇佐市)までの日豊線(JR)では必ず左側の席についた。ひとつには海が見えるということもある。しかし、航空自衛隊築城基地(福岡県築上郡)の戦闘機を見ることができるからでもあった。築城(ついき)が近づくと母は決まって「ほらほら飛行機」と幼い私の興味を引く素振りで急かしていたが、実のところ母自身が戦闘機に見惚れていたのではと思う。

なぜ、母はいつも築城が近づくと戦闘機を探すのだろうかと不思議だった。生まれ育った場所に宇佐海軍航空隊があり、華やかりし頃の海軍パイロットや水兵たちに可愛がってもらったという記憶が強かったからだろう。南方に転戦したパイロットから母あてにフランス人形を送ったと手紙がきた。しかし、いざ届いた小包を開けてみるとパイ缶(パイナップルの缶詰)にすりかえられていた。「あきれた、あきれた」と、祖母が話していたのを覚えている。

さて、本書は『宇佐海軍航空隊始末記』の姉妹編として上梓されたが、内容は米軍の空爆を受け、壊滅した航空隊無きあとの町の様子だ。著者が本書を出版するに到った大きな意味はこの宇佐海軍航空隊から飛び立った特攻隊員に対する鎮魂である。更に、アメリカ軍の爆撃で亡くなった方々の慰霊。のどかな田園風景が広がり、目を転じればおだやかな海が広がる町が、かつては戦場だった。特攻隊員を送り出した基地であったことを風化させてはならない。悲劇を繰り返してはならない、という著者の強い義務感から生まれた。

今、縁者は誰も住んではいない宇佐には祖父母らが眠る墓がある。祖母や母から語り聞かされた宇佐海軍航空隊が妙に懐かしく、本書を手にした。読み進むうちに柳ヶ浦の駅を降り、潮の香を感じながら小松橋を渡った幼い頃が蘇ってきた。本当にあの町が戦場だったこと、特攻基地だったことがいまだに信じられない。宇佐市は史跡として航空隊跡地の掩体壕を残すことで戦争を風化させまいとしたが、著者は証言者たちの口述を慰霊碑として遺されたのである。幼いということで私に多くを語らなかったのだろうが、この世を去った祖父母、母の思い出が詰まった一冊は、はるか昔の潮の香を呼び覚ましてくれるものだった。

尚、本書には「最後の特攻」に関わる意外なエピソードが記されている。宇垣中将を含む十一名の彗星艦爆での出撃前の写真のことだ。個人の名誉もあるので、長い間、伏されていた事実だが、一抹の空しさを感じるものだった。

末尾ながら、宇佐海軍航空隊を飛び立った特攻機は、鹿児島県霧島市の国分基地(十三塚原)を経由して、南方海上で散華したのだった。

㉑『宇佐海軍航空隊始末記』今戸公徳著、光人社

・特攻隊基地となった宇佐海軍航空隊

その昔、祖父母が営む理髪店が宇佐海軍航空隊(大分県宇佐市)の近くにあった。大の海軍ファンであった祖父は散髪に訪れた海軍の将兵に酒食のもてなしをしていた。翌朝、宴の後の掃除をしていた店の使用人は海軍さんの忘れものである帽子等に気づく。点呼の際、上官に殴られたら可哀想と駅館川(やっかんがわ)の向こう岸にある航空隊にまで自転車を飛ばす。ラッパが鳴る前に営門に走りこむのが大変だった。昔話で祖母がよく語ってくれたものだった。調べてみると、戦前の大分県には旧海軍の航空隊などが点在していた。さしたる産業の無い県にとって基地の誘致は一村一品ならぬ「村おこし」だった。

幼い頃、祖父母の待つ母の実家に向かうとき、日豊本線から見える航空自衛隊築城基地を見ては、いつも、母は懐かしそうに戦闘機を眺めていた。戦前、まだ小さかった母は店に遊びに来ていた搭乗員達に可愛がられていたとのこと。搭乗員達は戦地から様々なものを送ってきたという。母が持っていたアルバムには飛行服姿の搭乗員の写真が貼られていた。偵察機の搭乗員で名前は原さんといわれたそうだ。出撃したものの、帰ってこなかった。その母も終戦間際、駅館川に架かる小松橋の上で突然に現れた米軍艦載機の機銃掃射を受けている。

筆者が幼い頃、柳ヶ浦の駅を降り、小松橋を渡って祖父母の待つ理髪店に走っていった。あの町が米軍の爆撃を受け、戦場であったとは知らなかった。更に、宇佐海軍航空隊から沖縄に向けて特攻隊員が出撃していったとは知らなかった。本書には咲き誇る桜の枝を飛行服に挿し、刀を下げて特攻機に向かう搭乗員の写真が掲載されている。従容として死地に赴く武人の姿に涙を禁じえない

戦後、新聞記者から作家に転じた豊田穣(1920~1994、大正9~平成6)の作品には、宇佐海軍航空隊での艦上爆撃機の訓練風景が登場する。豊田の作品は多々読んだが、敗戦間近、宇佐海軍航空隊から特攻機が出撃していたとは知らなかった。

また、「最後の特攻」として出撃した宇垣纏(1890~1945、明治23~昭和20)海軍中将座乗の彗星艦爆を操縦したのは中津留大尉である。この中津留大尉は宇垣長官出撃の要請を受け、宇佐航空隊から大分航空隊に向かったとのことだった。

「作戦の外道」ともいわれる特攻攻撃だが、この宇佐海軍航空隊では出撃前に予科練出身者が予備士官に殴りこみをかけた場面が紹介されている。特攻隊員の残した多くの遺書からは潔く死地に赴いたように受け取りがちだが、ぶつけようのない怒りの矛先がたまたま予備士官に向いたことでもわかるように、彼らとて本心は死にたくはなかった。

知覧のような特攻記念館が宇佐に建っているわけではないが、この一冊は詳細な記録が残った特攻記念館と同じである。これからも大事に読み返したい。

尚、193ページに渡辺くみさんに関する記述がある。

⑳『維新の残り火・近代の原風景』山城滋著、弦書房

・敗者の歴史には、勝者の狡猾さが隠れている

 

本書は中国新聞(本社・広島市)に2017年(平成29)4月から、2018年(平成30)9月まで、毎月2回、連載された維新の話である。その全35話を「グローバリーゼーション」「ナショナリズムとテロリズム」「敗者の系譜」「近代の原風景」として、4章に分類したもの。この中で注目したいのは、やはり、第3章の「敗者の系譜」である。明治維新において、勝者であるはずの長州藩だが、その実、敗者の系譜が歴史の襞に塗りこめられていたのである。

その代表的史実が、戊辰戦争での勝者として故国に凱旋しながら、反乱軍として木戸孝允(桂小五郎)に討伐された農商兵の話だろう。いわゆる「脱退兵騒動」だが、「四民平等、一君万民」という維新のスローガンと異なり、長州藩には歴然たる身分差別が横たわっていた。被差別部落出身を含む農商兵は、反政府勢力として殺戮されたのである。本書では述べられていないが、海防僧月性の影響を受けた大楽源太郎は九州へと逃れ、既知の久留米藩の仲間に庇護を要請した。明治4年(1871)に起きた最初の武士の反乱事件である「久留米藩難事件」において大楽源太郎らは久留米藩の仲間に殺された。四方を政府軍に囲まれた久留米藩としては、苦肉の策として大楽らを殺害したのである。しかし、大楽暗殺事件として「久留米藩難事件」は処理された。このことは、明治9年(1876)に起きた「萩の乱」において再燃したが、松陰精神の継承者である前原一誠は反政府勢力として処断された。木戸を始めとする新政府の主要な人物がかつての仲間を封殺したのである。

明治維新150年としてNHKの大河ドラマは「西郷どん」だった。林真理子原作、監修には「篤姫」の監修も手掛けた原口泉氏だったが、その視聴率は伸びなかった。本来、明治維新100年と150年とは、何がどのように異なるか、どのように変化したかを検証すべきだったが、明治維新100年の焼き直しでは、関心が薄れるのも致し方ない。振り返れば、西郷隆盛も明治10年の「西南戦争」では敗者になる。しかし、今もって、その人気は衰えない。その点を強調すべきだったのではと、悔やまれてならない。

明治という時代の変化は、日本の生存のために必要であった。西洋が100年を要した近代化を、50年で達成しなければ生き残れなかったのである。必然、歪みが生じ、何にしても斃れる(敗戦)しかなかった。

明治維新での敗者の系譜を辿る事は、昭和20年(1945)8月15日の敗戦国日本の事実を冷静に判断できる材料と考える。全35話の端々に、著者の昭和20年の敗戦に対する事実認識の欠如が如実に見て取れるが、このことは、いまだ、明治維新史が勝者の視点からでしか伝わっていないことに起因していることが見えてくる。本書は、いみじくも、その歴史の陥穽を炙り出している。

尚、138ページからの「隠岐騒動」は、明治時代に起きた廃仏毀釈の一つの事例として参考になる。

⑲『いのちの循環「森里海」の現場から』田中克監修、地球環境自然学講座編、花乱社

・自然は征服するのではなく、畏敬するもの。

 

本書は、地球環境の実態報告として70名余の方々の講演録をまとめた一冊。森、山、川、湖、海、農業、環境、水、生物、自然災害など、16に分類した350パージ余となっている。

この中で、関心を向けたのは、70ページの「日本人の自然観」だった。昨今の欧米型、特にアメリカの大量生産、大量消費という「農畜産物の無駄」に苛立ちを覚えるだけに、人間も自然の一部という考えに共感を覚えた。

そして、118ページの干潟の話である。潮の満ち引きによって繰り返される干潟の不思議、その役割には注視したい。現代、人間の欲望のために埋め立てられる干潟だが、そこに生きる生物も人間と同じ生きもの。自然界に対し覇権主義的な考えだけ良いものか・・・と疑問を抱かせる。

その干潟の巨大版が九州の有明海だが、144ページから始まる話は、感嘆の声を挙げずにはいられない。地球規模での潮の満ち引きが、有明海なのだと知った驚き。人間の人生100年時代など、鼻先で笑ってしまうほどの悠久の歴史に、日常のせせこましい暮らしぶりが馬鹿らしく思えるほど。「大陸沿岸遺存生態系」が有明海であり、「海の宝庫」と呼ばれる別の意味を知った瞬間でもあった。

そして、海と言えば、クラゲの存在ほど、面白く、不思議な生物はない。海に漂うだけで、どんな存在意義があるのか。考えても、真意が見い出せない生物がクラゲだ。そのなかのビゼンクラゲなる種類は中華料理の高級食材であり、有明海で大量発生したという事実に、またもや「海の宝庫」を再認識したのだった。

152ページの「魚の心理」には、笑ってしまう。確かに、買い手のつかない生け簀の魚が人間に愛嬌をふりまき、アイドルになり、そのうち情が移って、網で掬うことさえ憚られる。そんな魚類を調査することから、海というものは千年単位で判断するものだということを始めて知った。

 88ページからの「海と遊び、海を守る」も、四方を海で囲まれる日本だからこそ、日常的に考えなければならない倫理を教えてくれる。共存共栄、それが海であり、人間の肉体の一部と考えれば、手入れを怠ってはならないのは海であり、山である。

そして、233ページから始まる水の事情は、必読の箇所。公共の水道を営利目的の民間企業に移管する自治体が出てきたが、社会生活を維持する最低限のインフラとして、自治体の直接管理下にあるべきだ。その水の最終的な受け止め先が海であり、237ページの「水俣病は終わっていない」という説は、もっともな事である。

西洋が言うところの自然は征服するものという傲慢さを戒め、自然は畏敬するものという東洋の時代に入ったことを示してくれる一書だった。

⑱『ちいさきものの近代 Ⅰ』渡辺京二著、弦書房

・ちいさきもの、とは敗者のことか。

 

「一身二生」とは、幕末から明治を生きた福澤諭吉の言葉だ。一度きりの人生でありながら、二度も人生を経験したという意味になる。この二度の人生とは明治維新を指すが、幕末、海外を見聞した福澤でさえ、驚きの大変革の時代だった。福澤が「親の仇」とまで言い切った封建的身分制度だったが、明治になればなったで官僚制度という新しい身分制度が誕生した。その新しい時代を迎えたのは旧武士階級だけではない。果たして、庶民はこの明治維新という大変革をどのように迎えたのか。近代に取りこぼされた人々を「ちいさきもの」として、「熊本日日新聞」に連載されたものを全九章に渡って述べている。その中で、第六章「幕臣たち」、第七章に「敗者たち」という章がある。いわゆる旧徳川幕府を支援した佐幕派の人々だが、明治新政府の時代においては冷や飯食いの人々である。

本書は、全体として、「敗者」の側にある人々が描かれている。特に、会津藩に対する異常ともいうべき扱いは、現代においても深い溝を遺したままだ。その溝の特異な例として薩摩の大山巌に嫁いだ山川捨松がいる。例外的な溝の代表としては勝海舟がいる。冷静に時代の趨勢を見ると、勝海舟にも言い分があり、優劣はつけがたい。第一、勝海舟自身も、根っからの武士の家柄ではない。武士の株を買っただけの家であり、徳川家に恩顧があるわけでもない。それこそ、「封建制度は親の仇」と言い切った福澤が、武士の論理で勝海舟を批判するのも、矛盾に満ちている。「一身二生」とは、矛盾という意味合いもある。

会津に代表されるように、東北諸藩が九州人を忌避し、卑下する喩えとして、著者は村上一郎と接した場面を出している。「僕は九州人は一切信用しません」と言われて著者は面喰った。(206ページ)しかし、その村上一郎の海軍時代の戦友である小島直記は根っからの九州人(福岡県)である。村上が三島由紀夫の後を追って自決する前、今生の暇乞いに出向いたのも小島の家であり、互いの墓所も小平霊園である。村上に師事した詩評家の岡田哲也氏は、九州は九州でも鹿児島の出身である。それを考えれば、著者の村上との遭遇を東北と九州との対立構造の引き合いに出すのは無理がある。

いずれにしても、過去に刊行された幕末維新の書物を読み返しているかの如く、繰り言を聞いているかのようだった。ゆえに、今一つの物足りなさを感じる。「一身二生」が内包する矛盾の解消が近代ということか。まずは、本書を土台に、次作から深い洞察が加わるということなのだろう。

⑰『天皇制と日本史』矢吹晋著、集広舎

・驚愕の史実、重たい問題提起の一書

 

表紙写真の人物に見覚えがあった。平成30年(2018)11月24日付、読売新聞西部版「維新150年」特集に取り上げられた朝河貫一(1873~1948)だ。「おごる祖国 愛国の苦言」という見出しの脇に表紙と同じ表情があった。

本書は、全9章、600ページに及ぶ大著。なかでも、第2章の『入来文書』において、朝河が早くに文書を読み解いていたことに驚く。中世日本(鎌倉時代)の封建制成立過程を知りえる資料として貴重なものだ。この『入来文書』については九州大学名誉教授の秀村選三氏(81ページ)から直接に話を聞いたことがある。『入来文書』解読は朝河が勤めていたイェール大学の委嘱が発端だが、その先駆者が朝河であったと知り、驚いた。日本の連作可能の稲作、欧州の休耕地、牧草地を必要とする畑作との比較は斬新。ふと、欧州の海洋進出の理由の一つが、肥料となる海鳥の化石化した糞鉱石を求めてであったことを思い出した。

本書第4章の「ペリーの白旗騒動は対米従属の原点である」は必読の箇所だ。第6章、第7章において提起される問題の「原点」でもあるからだ。嘉永6年(1853)、ペリーが黒船を率いて来航した。この時のペリーの通訳官であるウィリアムズに注目した朝河の慧眼には恐れ入った。歴史の現場の生き証人である通訳官の記録は、今後の歴史解説の見本ともいうべきものだ。この通訳官の存在の重要性を受けての第7章「日中誤解は『メイワク』に始まる」は、歴史に残る誤訳事件。事件の背後を丹念に追った著者の記述はミステリーを読んでいるが如くで、読み手を飽きさせない。一般に「マーファン事件」ともいわれるこの事件は、1972年(昭和47)、日中国交樹立の最終場面で起きた。田中角栄首相(当時)の「迷惑」と発言した箇所が中国側の誤解を招いた。通訳官がスカートに水がかかった程度の「麻煩(マーファン)」という中国語に翻訳したからだ。この「マーファン事件」を読みながら、日本人の記録文書に対する曖昧さを再認識した。根本に、記録を重視しない、解読しようとしない国民性とでもいうべき感覚があるのだろうかと訝る。そう考えると、本書が大分であることの意味も納得できる。

余談ながら、この「マーファン事件」については、筆者が初級中国語講座を受講している時、横地剛先生から教えていただいた。同文同種と思って安易に中国語を理解しないようにとの戒めを込めてだった。

冒頭、読売新聞の記事を紹介したが、その締めくくりは「戊辰戦争の敗者の側から朝河という世界的な知性が生まれたことも、近代日本の一断片だった。」である。まさに、本書の総括にふさわしい言葉である。なぜ、日本の歴史学会は、このような学者の存在を無視し続けたのだろうか。

ちなみに、実名を挙げての研究者らを批判する文章が目につく。しかし、朝河貫一の如くあれとの著者の警告ではと感じた。歴史は、何のために存在するのか。それは、後世の人々に同じ失敗の轍を踏ませないためだ。驚愕の史実が開陳されると同時に、歴史解読の問題提起の書であった。

⑯『インテリジェンスで読む日中戦争』山内千恵子 ワニブックス(月刊日本11月号掲載)

⑮『大衆明治史 (上)建設期の明治』菊池寛著、ダイレクト出版

・封建制度崩壊後の新時代を俯瞰する

 

本書は、菊池寛が著した明治近代史の復刻版である。大衆明治史とあるように、第一章から第十二章まで、明治時代に起きた事々を一般大衆が読みやすく、理解しやすいように記述されている。

まず、第一章は「廃藩置県」、第二章は「征韓論決裂」、第三章は「マリア・ルーズ号事件」、第四章は「西南戦争」、第五章は「十四年の政変」、第六章は「自由党と改進党」、第七章は「国軍の建設」、第八章は「憲法発布」、第九章は「大隈と条約改正」、第十章は「日清戦争前期」、第十一章は「陸奥外交の功罪」、第十二章は「三国干渉」となっている。

従前、幕末維新史については多くの小説があるため、関心を抱いている人は多い。しかしながら、明治期以降の近代史、さらには昭和前期、後期の時代となると、少ない。これは「歴史は勝者によって作られる」という言葉を前提に考えればわかる。明治時代は勝者である薩長中心の史観である。昭和の二十年代(一九四五)以降は、連合国軍総司令部主体の史観になっている。要は、為政者にとって都合のよい、統治し易い歴史観が強制されているからに他ならない。この事を肝に銘じて、本書は取り組むべきと考える。時に、為政者は都合の悪い報道がなされると「発禁」処分とし、大衆の目に触れないようにする。もしくは、徹底した言論弾圧を加え、封印してしまう。本書も、菊池寛が考えながら、ギリギリの線で行間に政府批判を込めながら書いている事を知っておくべきだ。

本書では、明治新政府以降の史実が述べられる。大前提になるのは「明治維新とは封建的身分制度の破壊」であるということ。吉田松陰が「武士階級は六百年に渡る罪を償うべき」といった封建制度が破壊され、「一君万民、四民平等」の社会構築の最中に起きた事々である。幕藩体制の制度破壊であり、中央集権国家という新体制構築が明治時代であった。その新体制構築のモデルとしたのが欧米列強の「文明」という名の制度であった。しかし、六百年間維持してきた制度を大変革するには摩擦が起きる。起きない方がおかしい。それが集約されたものが第四章の「西南戦争」である。

更には、「文明」という名の西洋の制度を導入したものの、その矛盾が露呈したのが、第九章の「大隈と条約改正」である。厳格に順守しなければならない憲法といえども、いとも簡単に欧米列強の圧力で拡大解釈された。「歴史に学べ」とは言い尽くされた言葉だが、現代日本に起きている諸問題は過去にもあったということだ。故に、問題解決の手法、解決策は歴史に刻まれているという先人の教えである。そう考えると、本書は「過去にこんな事があった」という事実を知識として詰め込むだけではなく、現代に起きた諸問題に重ねて考えてみる参考書ということになる。さらには、疑問を深堀りする道標でもある。

ただ、残念なのは現代の評論家の解説が巻末についていないことである。考慮を願いたい。

⑭『木村武雄の日中国交正常化 王道アジア主義者石原莞爾の魂』坪内隆彦著、望楠書房

・なぜ、日本は中国と戦ったのか・・・。そして、なぜ、国交を樹立したのか・・・。

 

本年は、日本と中国(中華人民共和国)との国交樹立から半世紀となる。熱烈な「中国ブーム」に「パンダ外交」に沸き立った時代を見聞した身からすれば、なんとも冷静な日本の様子を見て、本書の木村武雄、石原莞爾はどのような意見を発するだろうか。

本書は、『アジア英雄伝』の著者による日中国交樹立秘話とでもいうべき一書。日中国交樹立時の田中角栄政権の建設大臣木村武雄が黒子となって国交樹立に奔走し、その足跡を記したもの。全5章、200ページ余ながら、従来、「日中国交回復」「日中国交正常化」というマスコミの決まり文句で語られる日中間の国交についての経緯が窺えて、興味深い。本来、日中の国交樹立においては少なくとも明治時代にまで遡らねばならないが、学校教育の現場では近現代史を教えるまえに教科は終了してしまう。その点を踏まえても、本書の果たす役割は重要だ。

更に、木村武雄が師として崇拝する石原莞爾についても、東條英機と対立した陸軍軍人として見る向きが強い。戦争論を著したことから、内容を熟読することなく、世界戦争を鼓舞する軍人とみる向きが多い。故に、童話作家として著名な宮沢賢治と同じ在家宗教団体である国柱会の熱心な会員と紹介しても、にわかに信じられないと口にする人が多い。

しかし、最も大きな問題は、あの大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)敗北後の日本社会が、いまだGHQ(連合国軍総司令部)の洗脳工作から覚醒しないことにある。二度と、欧米諸国に反抗できないように、巧妙に仕組まれた戦後であったことに気付いていない。いわゆる「自虐史観」に日本人は汚染され、公平に人間の犯す罪を検証できないようにしたことだ。

ところで、評者は本書の題名にも使用されている「正常化」という言葉に疑念を抱く。「正常化」ということは、それ以前は「異常」であったということだ。では、何が異常であったのか、何をもって正常化というのか、マスコミは明確に示すことはできない。そして、悲しいことに、多くの日本人は「正常化」という言葉に疑問の欠片すら抱かない。自身の頭で考えることすら日本人はGHQに奪われてしまったのだろうか。

蛇足ながら、本書を読み進みつつ、一人の人物が思い浮かべた。それは清水芳太郎という新聞人だ。一時、中野正剛が社長を務めた玄洋社系の新聞「九州日報」の主筆である。この清水は飛行機事故で落命してしまうが、存命であれば東條英機、石原莞爾の間を取り持ち、中野正剛の自決も防げたのではと噂された。果たして、清水は木村と同じく、日中の国交を進めたのか、はたまた、別の方法を考えたのか。

王道アジア主義者である西郷隆盛の思想にまで踏み込んで考えてみたい。そう思わせる一書だった。

⑬『振武館物語』白土悟、集広舎 (「月刊日本」寄稿文)

⑫『満洲の情報基地ハルビン学院』芳地隆之著、新潮社

・ハルビン学院を軸に述べる日本の近代史

 

本書は、かつて満洲の地にあったハルビン学院の末期、いわゆる日本の敗戦に焦点を合わせて述べた内容。序章、終章を含め、全9章、250ページ余によって構成されている。日本の敗戦により、満洲にあった多くの貴重な資料は焼却、焚書、置き去りとなっただけに、わずかな記録とはいえ、貴重だ。

ハルビン学院といえば、初代満鉄総裁を務めた後藤新平を想起する。日清、日露の戦争を経験した日本が、国内で膨張し続ける人口の解消先に選んだのが満洲である。ハワイ、アメリカ西海岸へと移民は続くが、日系移民の排斥運動を回避させるにも満洲は最適の地だった。しかし、境界を接する中国とソ連とは友好的な外交関係を構築しなければならない。中国には上海に東亜同文書院という学校が設けられていた。ソ連には満洲のハルビンに学院を設置することで後藤新平が言うところの「文装的武備論」を実現したのだった。海外に移民した日本人の多くは、異国の地で奴隷に近い扱いを受けても、勤勉さから信頼を得、財産を築き、子弟には優先的に学校教育を受けさせた。更には、その土地に定着し、社会的地位すら築く人も出現した。

しかし、日本は大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)に敗北。知識と技術力を有する日本人を中国共産党、ソ連に利用されると脅威になる。中国国民党と米国は、在満日本人の早期帰国を決定した。しかし、ソ連は満洲の開拓日本人を虐殺、婦女子を凌辱、資産を略奪。更には関東軍の将兵は捕虜としてシベリアに送り強制労働を強いた。ついには、中国国民党までもが在留日本人を自軍の戦力に流用する。その狭間、ソ連軍は南樺太、千島列島に攻めこみ、いまだ、北方領土を返還することなく居座っている。幕末、アメリカのペリー艦隊来航以後、日本という国は大陸の中国、ロシア、さらに米国という大国の狭間で翻弄されてきたことが見えてくる。

巷間、満洲という地は、日本国内で失敗した人々が再生を求めていくところと言われる。転向左翼は左翼運動よりも経済開発に従事した方が人々のためになるとして渡満する。問題を起こし出世の道を閉ざされた陸軍軍人も満洲で生きる道を模索する。一旗揚げたい浪人は大陸浪人と称して満洲、シベリア奥地、中央アジアにまで赴く。そんな猥雑とした異郷の満洲で生き残る人々にとって諜報活動に長けてくるのは致し方ない。そこにロシア語に堪能なハルビン学院卒業生であれば、方々で重宝される。安定した地位にあるハルビン学院卒業生を見て、続々と入学志望者が集まるのも無理はない。

本書は、ハルビン学院を題材にしているが、日本の敗戦という結果を知る著者が結果に添って近代日本の歴史を描いている。故に、事実と異なる事々を検証せずに述べた箇所が散見される。可能ならば、本書の登場人物である杉目昇の著書の内容を詳細に解説しても良かったのではと思った。

⑪『大アジア』松岡正剛著、KADOKAWA

・アジアに立脚して歴史を俯瞰すると、なぜ、西洋の貧困さが際立つのか

 
本書は「大アジア」をテーマに、第一章「中華帝国とユーラシア」、第二章「近代アジア主義」、第三章「大東亜・日本・アジア」、第四章「リオリエント」として、全23冊の書籍の解説とともに、アジアを考える内容となっている。

現在の中国(中華人民共和国)が大国としての版図を確立したのは、秦の始皇帝による統一にある。わずか15年にして世界帝国を成したことをモデルに、現在の中国は統一を急ぐ。さらに、王朝の変遷はあるものの、唐の大帝国が誕生し、ここで百家争鳴の思想家たちの中から儒学を国教に据えたことから安定が始まる。儒教(儒学)以外の道教、法家などの教えは異端の扱いを受けた。儒教の孔子の「仁愛」は尊重されるが、墨子の「兼愛」は異端視される。しかしながら、ロシアのトルストイは墨子の「兼愛」が弾圧されたことで、キリストの優しい言葉で語る「愛」の思想が西洋に蔓延したと説く。この儒教は日本でも尊重され、結果、近代においてキリスト教や社会主義、マルクス経済が斬新な思想として広まる事にもなった。

 
従来、欧州を中心とした歴史が語られたが、アジアに特化して歴史を俯瞰すると、欧州の思想の空洞化が目につく。欧州人は仏教を知らず、あのチンギス・ハーンは欧州に魅力を感じなかった。しかし、15世紀になって、欧州は軍事力でアジアを制圧していった。文化の「徳」による王道ではなく、武力での覇道である。この一つの時代の流れからも、欧州の底の浅さが計り知れる。これは、市場原理に変わる価値観を有しない欧州と見ても良い。市場原理についても、『管子』に説いてあるのだが・・・。

 
「大アジア」といえば、福岡発祥の自由民権運動団体である玄洋社が孫文の辛亥革命を支援したことは外せない。欧米の覇道に苦しむアジア同胞の救援を進めたが、この情実を孫文は利用したという。しかし、日本側はアジアの改革によって日本の改革を進めていたことも事実ではなかろうか。

 
経済学という言葉は東洋と西洋では意味が異なる。東洋では「経世済民の学」として、質を重視し、循環させることを考える。翻って、西洋では量を重視するに留まる。いずれが好ましいかは、言うまでもない。かつて、宋代の中国は世界経済の中心だったことを考えると、量を優先させる西洋の経済が東洋を貧しくしていったことが理解できる。

 
現在、日韓トンネル問題が政治問題になっているが、この日韓トンネル構想は昭和15年(1940)9月の東京、北京間の新幹線構想の中に含まれていた。アジア主義者の観点からすれば、政治問題になること自体、時代遅れと言わざるを得ない。そんな事々を気づかせてくれる一書であった。

⑩『人は鹿より賢いのか』立元幸治 福村出版(「月間日本」10月号書評から)

月間日本10月号

⑨『人口から読む日本の歴史』鬼頭宏著、講談社学術文庫 

本書を手にしたのは、日本の少子高齢社会の対応策を考えたいと思ったからだ。高齢者に対する年金、医療という社会保障費は増加。反して、それを支える若年層は減少傾向にある。政府はこれを問題としながらも、具体的な方策は行き詰まっている。この少子高齢社会について、本書の終章には「少子高齢化はわれわれにとって初めての経験である。(中略)人口の停滞は成熟社会のもつ一面であることが明らかだからである。」と述べる。目先の対処にあたふたするより、墨子ではないが、まず、「歴史的根拠」を示すことが必須。

本書は、日本の人口変動について具体的事例、数値をもって証明を試みる。序章から終章まで、全9章を読み進むが、まず16ページ、17ページの日本の人口変遷について、縄文早期から平成7年(1995)までを俯瞰する。慶長5年(1600)の人口は1227万人であり、明治6年(1873)の人口は3330万人である。更に、明治6年から150年を経る2025年頃の予想人口は12091万人である。この統計数値から、何が人口増減の背景にあるのかを分析すれば、少子高齢社会を食い止める方策が見えてくるのではないだろうか。

ここで考えたいのは、江戸時代の徳川幕府が招いた江戸一極集中が都市の人口抑制機能を果たしていたということ。幕末、幕府は参勤交代を廃止したが、その結果、地方への移住が進み、人口は倍増していった。さすれば、人口減少を問題とする現代、東京一極集中を是正することが少子化に歯止めをかける事につながるのではないか。都市は「アリ地獄」と著者は指摘する。都市は次から次へと人を食いつくす。それでいて、人口増という生産性は無い。

しかし、これはこれで、地方も対策を考えなければ解決できない問題だ。交通、通信、衛生インフラの整備が必須となる。この首都東京の「アリ地獄」現象は、地方の中核都市も同じ現象を示している。このことから、都市への集中を改善する方策として日本全国に均等な人口配分を考えなければ少子化は防げない。単純に児童手当、託児所の増加だけが対策ではない。

次に高齢者対策だが、介護を必要とする高齢者を集中的に管理できるホームの増設で対処が可能ではないだろうか。介護を必要とする高齢者には、複数の介護者が必要だが、ホームでの管理に移行することで介護者の軽減負担が可能となる。

都市の一極集中解消は災害や感染症での機能不全を防ぐこともできる。大量生産、大量消費社会から自給自足社会への脱皮も考えなければならないだろう。人も動植物と同じ生物と考えれば、人口増減は生物の進化の法則。足りない食物は輸入すればよい。不足する労働力は移民を奨励するでは、ヒトが進化していないことを証明するようなもの。少子高齢化を問題とするのであれば、本書の統計数値を基に具体策を考えなければならない。

⑧『データが示す福岡市の不都合な真実』 木下敏之著、梓書院

・福岡市は最強でも、スゴイわけでもない。

本書は題名が示す通り、九州の中核となる福岡市についての解説。第1部「データが示す福岡市の不都合な真実」、第2部「福岡市民の所得を増やすための政策提案」の2部構成となっており、いわゆる福岡市の現実の偏差値、通知表だ。折々、コラムが挟み込んであるので、250ページ弱の一冊は気軽に読み進むことができる。

従前から、福岡市は九州全域を視野に入れて考えなければ経済成長はありえないと言われる。そのことは第1部の第3章「福岡市の経済は全九州を相手に卸売、小売業で稼ぐ内需型」がデータで示している。現在の福岡市は、地域外の自治体に対し、関心が低すぎるのではとの批判があるが、経済成長を視野に入れるのであれば福岡市は九州各地との連携を考えるべきだ。このことは、出生率もさることながら、賃金の伸び悩みを解消することにもつながる。示された数値による解説に、唖然とするしかなかった。

福岡市に対する域外の方々の印象は、「自然に恵まれている」「食べ物が美味しい」「お祭りがたくさんあって楽しそう」という好印象で語られる。しかし、マスメディア情報に安堵はできない。ある方は、「世界一、幸せな都市」と揶揄する。その背景には、熾烈な競争をせずとも、そこそこの努力で飯が食える都市だからとの事。穿った見方をすれば、誰が首長に座っても、さしたる不満が起きないということだ。

ところが、近年、不満が少しずつ表面化している。まず、公共交通機関での地下鉄の在り方。延伸工事が、出たとこ勝負で陥没事故を幾度も起こした。開業が遅れる事での税金との費用対効果が見えない。循環線が無い。JR九州との相互乗り入れはあるものの、西鉄電車との相互乗り入れがない。これは、第2部の第3章「福岡市の国際的地位と都市としての魅力を高める対策とは」にも関連することだが、九州全域を視野に入れるという発想が欠如しているからだ。

更に、大型のクルーズ船が停泊できる港湾施設はあっても、観光による税収という純利益を生み出す体制にはなっていない。港湾、道路などの公共設備の保全に税金を投入するだけで回収するという発想がない。このことは、福岡市内の観光をと思っても、大型バスを駐車できる場所が少ない。まったく無いところもある。これでは、海外はもとより、国内からの観光客を呼び込むことは不可能。せっかく、見学希望者が多い福岡市西区生の松原の「元寇防塁」だが、近隣には駐車スペースがないのだ。

また、本書で幾度が取り上げられた志賀島だが、博多駅や天神からのアクセスが不便。そうであれば、能古島フェリーのように車両を乗せるフェリーの方が利便性は高まる。志賀島を訪れる方も増えるのではないか。

 子高齢化という人口問題も含め、読み進みながら、幾つも、幾つも、不満が浮かび上がる。この不満、将来への不安はどこにぶつければ良いのだろうか・・・。誰が、この潜在リスクを解消してくれるのだろうか。

⑦『インテリジェンスで読む日中戦争』山内智恵子著、江崎道朗監修、ワニブックス

・強かな中国共産党の謀略戦に暗澹たる思いが

表題にある「日中戦争」だが、これは昭和12年(1937)7月7日に起きた盧溝橋事件に端を発している。現代日本人は、この「日中戦争」を「侵略」と見ている。しかし、事は簡単に「侵略」として片が付くものではない。本書はインテリジェンスというキーワードで「日中戦争」を見たらばどうなるかという解説書だが、中国共産党の強かな諜報活動、プロパガンダの事実に戦慄を覚える。それも、日本だけではなく、イギリス、アメリカの諜報機関をも手玉にとっての謀略戦を展開していたのだ。

この中国共産党の戦術を俯瞰しながら思い起こしたのは昭和12年(1937)7月29日の通州事件であった。この事件は在留邦人が中国国民党兵士、学生たちによって虐殺された事件だが、その実、国民党軍や学生集団に潜入した中国共産党が暗躍していたのではと思った。この事件については、最新刊の『新聞が伝えた通州事件1937~1945』(藤岡信勝編)に詳しい。

更に、本書の第一章「足りなかった対中支援」だが、これはアメリカが中国国民党(蒋介石)に軍事支援を約束しながら容易に履行されなかった背景を述べている。ここで思い出したのは1942年(昭和17)に中国国民党支配下の中国河南省で300万人が餓死したことだ。蒋介石は虫害で飢餓に苦しむ同朋を見殺しにしたのだが、「同盟国」のアメリカからの物資は届いていない。蒋介石が救援を求めなかったからというが、求めても簡単には物資が届かない事を知っていたのだろう。皮肉なことに救援物資としての軍糧を放出したのは日本陸軍だった。この事実については最新刊『人間の条件1942』(劉震雲著、劉燕子訳)を一読されたい。

全6章、230ページ余の本書を読了しだが、最終章214ページに記載される文章が重い。「アメリカの保守派、インテリジェンスの研究者たちは、アメリカ本国での反日宣伝活動、日米分断工作についてはあまり研究をしていない。(中略)アメリカのインテリジェンス研究の「欠陥」を理解したうえで、アメリカのインテリジェンス、近現代史研究の専門家に対して、日本側の視点、懸念を伝える作業が重要だと言えるのです。」

日本の自称保守と言われる方々は「日米同盟」を重視する。しかし、「同盟国」であるアメリカが外交戦略、戦術においての肝である日本についての研究が進んでいないのであれば、「同盟国」の意味はなさない。さすれば、自主独立の気概をもって生き残る術を日本は考えなければならないが、果たして、どれほどの日本人が危機感を抱いているだろうか。

本書を基に既存の日中関係の事件史を再読しなければならない。合点のいかなかった箇所の整合性が明らかになるだろう。

加えて、紛争回避のためのインテリジェンス機関が、いかに日本に必要であるか実感できるだろう。

⑥『孫子・呉子・尉繚子・六韜・三略』訳者村山孚、経営思潮研究会

・今こそ読み解かなければならない兵法書

 

 本書は「武経七書」と言われる兵法書のうち、『司馬法』『李衛公問対』を除く五書で構成されている。なかでも、孫子、呉子は「孫呉の兵法」として現代に至るも尊重する人は多い。兵法書は思想、人間分析の集大成であり、人類の歴史は闘争の歴史だからだ。更に、人類の歴史において、人間の本質は変わっていない。故に、数千年の時を経ても兵法書が説く内容に狂いが無いのは当然といえば当然といえる。

 ナポレオンは『孫子』を座右の書とし、第一次世界大戦を引き起こしたドイツのヴィルヘルム皇帝は『孫子』を知らなかった。欧州における覇権を制したのは、この『孫子』にあったとは言いすぎかもしれないが、当たらずとも遠からずである。

 現在の中国を成立させたのは中国共産党だが、その指導者の多くが「孫呉の兵法」を熟知していたのではと思える。この兵法書において「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という言葉が有名だが、これはビジネスの世界においても通用する。人間の行動原理を理解していれば、打つ手が外れるはずもない。敵が来ないことを頼みにするのではなく、敵が攻めて来られない様に備えておくのを頼みとしなければならない。敵に攻める隙を与えてはならないことだが、それはそのまま、敵の情報収集を常に怠らずということになる。

 本書には武器を手にしての戦術も述べられるが、組織の維持、部隊の統率が重要と説く。そして、敵との交渉である。自軍、自国の者の憤慨、誹謗、中傷を受けようとも甘んじて敵の要求を受けなければならない時がある。しかし、それは妥協ではなく、反撃の手段であることを理解しておかねばならない。先述の中国共産党幹部の指揮にも、この兵法書の戦術論が酷似していることに気付き、言葉を失った。勝っているように敵には思わせ、反撃の好機を待っていた場面は多い。

 この一書において更にぞっとするのは、太公望と文王とのやり取りの章。釣りを楽しむ太公望に軍師としての才能を見出した文王が繰り出す質問に太公望が具体的に返答するが、それが謀略に満ちていることだ。現代の中国との外交交渉において日本の外務省が太刀打ちできないのも、なるほど・・・と思える。主義主張ではなく、伝統的に中国は外交交渉のツボ、つまり謀略を心得ているのだ。

 文化大革命によって中国は自国の古典を焚書した。しかし、改革開放後、日本に保存されていた中国古典などを自国に持ち帰り再評価、研究を行っていたとみるべきだ。例えば、武力によらず敵を打つ12か条、部下の内心を見破る6か条など、戦争は力と力の衝突だけではなく、知力と知力との戦いであることを知るべきだ。敵を知り己を知るためにも、孫子、呉子の兵法書は必須の書として日本人は読み進まなければならない。 
 
 尚、『孫子』に対し『呉子』は「非情の兵法」と呼ばれることからも、熟知しておくべきだろう。

令和4年(2022)7月19日

 浦辺 登

⑤『シルクロード』安部龍太郎著、潮出版社

・西洋近代を超越するシルクロードでの気づき

 

 シルクロードという表題から、東西交易の道であり、仏教伝来の道に関する一書と即断できる。しかし、現在、チベット、ウイグル、内モンゴルの民族弾圧が問題視される地域だけに、容易に足を踏み入れる事のできない秘境と思ってしまう。ところが、意に反し、著者はシルクロードを旅し、一冊の紀行文にまとめあげた。これは、強い興味を抱かずにはいられない。本書は2部構成になっており、それぞれ、第1部(2018~2019)、第2部(2019~2020)各10回、計20回の紀行文となっている。第1部の第1回から読み進むと、著者とシルクロードを旅する疑似体験ができる。

 シルクロードといえば、孫悟空の「西遊記」を真っ先に思い出す。三蔵法師に従い、真理を求めてインドへと向かう物語は想像の世界でありながらも、現実世界のようでもある。その過酷なシルクロードの旅も、現代ではキントン雲ならぬ飛行機で中国へと飛び、列車、車を乗り継いでの旅になる。とはいえ、扉の地図を広げてみれば、いかに広大な大地の移動であるかがわかる。人間という動物は好奇心から移動する生き物だが、何があるのか、危険も省みず、好奇心という欲望を抑えることができない動物だ。
 
 本書の内容については紀行文だけに、ああだ、こうだ、と解説するのは野暮。しかし、全ページの写真がカラーというのは、実に豪華。まずは、写真とキャプションだけを追ってみても、楽しい。そこで、ハタと気づく。全ページがモノクロ写真であれば、砂漠、岩山、雪山が続く景色は何を見ても同じ。ましてや西域であるウイグルのカラフルな民族衣装は言葉の限りを尽くしても、尽くしきれない。さらに、284ページにある日本の正倉院と新疆ウイグル自治区博物館にしか残っていない唐の時代の室内履きも、モノクロ写真であっては、そのありがたさも半減してしまう。

 しかしながら、読了後、筆者は不完全燃焼に陥った。230ページの中段の写真に掲載されていた桃の種である。偶然、著者が見つけた1800年前のものだが、その結果の記述が無い。次回に続く、なのか。あの大賀ハスのように、芽を出し、花を咲かせと、現代の奇跡を期待していたのだが。
 
 ともあれ、著者の「在るがままで尊い」というインドでの体験(啓示)、103ページの「目まいが起こした二つの可能性」など、非日常空間で得られる事々から、旅は真実を求める行為でもあるのだと納得できる。ページをめくり、文字を追いつつ、著者とシルクロードを旅することは、真理とは何かを考える時間でもあった。西洋近代という物質的充足の次に来るのは、東洋的な心の充足なのではないか。そうした振り返り、気づきを求める書であった。

令和4年(2020)3月16日 浦辺登
(「浦辺登公式サイト」から再掲)

④『日本人が知らない近現代史の虚妄』江崎道朗著、SB新書

・世界の歴史認識の変化に日本は追いついているか

 

 歴史認識において齟齬をきたす代表的な言葉に「太平洋戦争」という呼称がある。いまだにテレビ、新聞、インターネットでも目にする。長い年月、耳にし、目にしてきた言葉だけに、日本国民に浸透し、誰もその言葉に疑問すら抱かない。しかし、日本国民であっても、この言葉が通用しない世代がある。それが「大東亜戦争」体験者たちである。日本は昭和16年(1941)12月8日から太平洋だけで戦争をしたのではないという認識を持つ世代。更に、教科書でさんざん「太平洋戦争」という言葉を教えられてきた世代が、「アジア・太平洋戦争」という言葉を使い始めた。そもそも、「太平洋戦争」という言葉は、昭和20年(1945)12月8日から、新聞各紙において用いられたのが始まり。ここに、日本を占領統治する国連(連合国軍)の隠れた意図が見え隠れする。

 本書は、国連(連合国軍)の術中にはまり、いまだ覚醒できずにいる日本人に、分かりやすく、具体例をあげ、世界の歴史認識の変化を解いたもの。例えば、EU議会が旧ソ連(ロシア)を侵略国家として議決し、プーチン大統領が猛反発している様を伝える。日本人の関心である真珠湾攻撃が、アメリカでどのように評価されているかなど。全8章、260ページ余にわたって述べられる。

 二度と、悲惨な戦争を繰り返さないために国際連盟が設けられた。それにも関わらず、なぜ、再びドイツは日本、イタリアとともに、主義主張を超えた国連(連合国軍)と干戈を交えたのか。更には、悪の枢軸と言われた日本、ドイツが国連(連合国軍)に大敗したにも関わらず、世界から戦争は無くならないのか。この事実から、本当の悪は滅んではいなかった事が証明される。本当の悪は誰なのか、何なのか。

 本書では、リッツキドーニ文書、ヴェノナ文書、米国共産党調書という資料を基に、その悪が何かを見事にあぶりだした。持論として大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)の発生から、経緯、結果までをも日本の好戦的な姿勢と結論付けている方には、定説を覆されたくはないと思う。しかし、今、世界が歴史認識においてどのように変化しているのか。その時流に対処したいと思われる方には必読の書。

 人物評価や歴史認識は、利害得失の関係者が死滅しなければ真実は浮上してこない。これからさらに、深く掘り下げることで、また新たな新事実が発見されることだろう。「アジア・太平洋戦争」という言葉を生み出した世代が登場した現代、従来の歴史解釈では世界に通用しない事を如実に知るだろう。

令和3年(2021)12月28日 浦辺登
(「浦辺登公式サイト」から再掲)

③『漢民族に支配された中国の本質』三浦小太郎著、ハート出版

・新型コロナ・ウイルスは「令和の神風」

 

 本書は長野朗(1888~1975)というチャイナ・ウォッチャーが書きのこした論を基に、現代中国の実像を炙り出したもの。序章を含む全8章、200ページ余に渡るものだが、著者自身がチベット、ウイグル、南モンゴルの人権問題に深くかかわっているだけに、その指摘する問題への切込みは鋭い。 

 では、表題にあるような漢民族の本質とは、何なのか。それを具体的に説明するには、現在のチベット、ウイグル、南モンゴルの問題を知っておくと良い。この人権問題については、『ナクツァン』(ナクツァン・ヌロ著、集広舎)、『ウイグル ジェノサイド』(ムカイダンス著、ハート出版)など、多くの著作が問題として糾弾している。地域住民の利便性を高める商人として漢民族は移住をする。次に、漢民族は害の無い民と信じ込ませた頃、開拓団と称する漢民族の移民が本格化する。気づけば、地域は漢民族が多数を占め、漢民族の道理が常識となる。そして、ある日突然、中国共産党軍が武力によって完全支配をしてしまう。漢民族が巧妙に民族侵略を行うかを知ることが先決。

 次に、なぜ今頃、このような著書が出版されるのか。その答えは、大東亜戦争後、日本を占領支配したGHQ(連合国軍総司令部)が長野の著書を没収、廃棄処分にしたからだ。長野は漢民族の侵略性を早くから見抜いていたが、後世に警告すべき文書が無かった。そこで、僅かながらも遺った長野の論を著者は読み込み、そこから、現代の中国共産党の民族性ともいうべき侵略を解説したのである。更には、大東亜戦争終結後、日本人は歪んだ歴史を叩き込まれてきたが、いかに現在の歴史教育が間違っているかをも気づかされる。中国共産党は日本の「侵略」戦争を糾弾し、抗日戦争勝利のパレードまで行う。しかしながら、この漢民族(中国国民党、中国共産党の別なく)の侵略性向を基に、明治時代以降に起きた中国との紛争、戦争、謀略の数々を再検証すれば、従前の歴史観は大きく変わってしまう。それ故に、GHQとすれば、この長野の論は封印しておかなければならなかったのだ。

 新型コロナ・ウイルスによって日本社会は停滞した。それ以前、日本の港には中国人観光客を満載した大型クルーズ船が寄港していた。インバウンドと称し、中国人観光客による経済効果を日本は求めた。その実、これが民族による侵略の前哨戦であることに気づいた日本人はどれほどいただろうか。この漢民族による「民族戦」は、蒋介石、毛沢東、江沢民、習近平のいずれの権力者の時代においても変わらない。富のあるところ、砂糖に群がりくるアリの如く、追い払っても、潰しても、次々にやってくる。そう考えると、新型コロナ・ウイルスによって日本は封鎖され、守られたのである。まさに、コロナは漢民族の侵略を防いだ「令和の神風」だった。
 
 尚、本書の第5章は「昭和維新と長野朗」だが、権藤成卿の共治、自治という思想に長野がいかに共鳴、傾倒していたかを述べている。アジアの安寧の基礎をどこに据えるかの理想が見えて興味深かい。

令和3年(2021)10月16日 浦辺登
(「浦辺登公式サイト」から再掲)

②『台湾を目覚めさせた男』木村健一郎著、梓書院

・児玉源太郎、その早すぎた死

 

 本書は台湾総督であった児玉源太郎の評伝だ。児玉については、『天辺の椅子』(古川薫著)などの評伝小説によってその生涯は紹介されている。しかし、あえて、再び、著者が児玉の伝記を刊行するに至った背景に李登輝(1923~2020、大正12~令和2)の存在がある。1988年(昭和63)年、李登輝が台湾の総統に就任し、教育改革が行われた。「台湾の近代化は、日本統治によるもの」と学校で教えることになった。すでに、1972年(昭和47)、日本は中華人民共和国との国交を樹立し、中華民国台湾との国交を断絶していた。それでも、李登輝は日本の植民統治を肯定的に評価したのだ。このことから、現在の親日国台湾が誕生した。

 しかし、台湾の植民統治に日本が失敗していたのであれば、いかな李登輝といえども「台湾の近代化は、日本統治によるもの」と、学校教育の現場で教えることはない。これは、台湾総督であった児玉源太郎の手腕が優れていたからに他ならない。その児玉の生涯、業績を全5章、300ページにまとめたものが本書だ。

 児玉といえば、明治37年(1904)から始まった日露戦争での203高地での戦いが評価される。乃木希典から一時的とはいえ指揮を代わり、勝利の目途をつけて去っていった。その姿は、深く、記憶に刻まれている。しかし、武の人というより、児玉の真骨頂は平時の文治における台湾統治によって評価されるべきだ。日本による台湾統治は、国内外から不可能と評されていた。その不可能を可能にした児玉の業績は、称賛されなければならない。大山巌という人間的魅力にあふれた上司に恵まれたこともある。後藤新平(医師、初代満鉄総裁)という優秀な部下を抱えていた事もある。しかし、その上司、部下の関係も、精神の感激がなければ成立しない。このことは、身分の上下を問わず、自由に発言させ、その意見を聞く耳を児玉が持っていた証拠である。これは治政における情報収集の基本でもある。

 児玉については、本書の中だけでは語り切れないエピソードがある。それだけ、常人の枠を超えた奇想天外の発想力があったとうことになる。その奇抜な考えを実行するにあたり、やはり、多岐にわたる情報分析力を備えていたからだ。

 あの大東亜戦争(太平洋戦争、アジア・太平洋戦争)の敗戦後、全ての過去を否定された日本。しかし、李登輝によってその再評価の道が開かれた。その礎として、児玉源太郎という人物がいたことは、日本にとって実に僥倖と言わなくてはならない。その児玉の全貌を伝える本書を通じ、今後、日本人がいかように受け止めるか、興味のつきないところだ。

令和3年(2021)9月24日 浦辺登
(「浦辺登公式サイト」から再掲)

①『緒方竹虎と日本のインテリジェンス』江崎道朗著、PHP新書

・日本再興の為に、情報機関の創設を

 

 緒方竹虎(1888~1956)といっても、現代、その名前、功績を知る人は少ない。現在の自由民主党の基礎となる自由党、日本民主党との「保守合同」、いわゆる「55年体制」の立役者の一人。存命であれば、総理総裁の座も夢ではなかった。

 本書は、その緒方竹虎の生涯を追いつつ、現代日本に最も欠けている情報機関設置を訴求する内容だ。緒方が追い求めながら、果たせなかった日本版CIAの創設をと著者は訴える。情報収集、分析、運用においての最大の失敗は大東亜戦争(太平洋戦争、アジア・太平洋戦争)である。近代日本の対外戦争である日清、日露戦争では、民間が提供する情報収集機能が有効に機能した。しかし、本来、情報機関は対外戦争遂行のために存在するのではなく、紛争の火の手が上がる前に消し止めるもの。いわゆる、リスクヘッジというものだ。ところが、戦前の日本においては、陸軍憲兵隊、特高警察による弾圧が強かったことから、情報機関設立に難色を示す人が多い。

 しかし、独立国家として主権の存在を示すためにも、情報機関は必須。それも、戦前の内務省、外務省、陸軍、海軍のような縦割り機構での情報機関では、意味をなさない。緒方は、民間の情報機関も含めた総合的な情報機関創設を考えていた。本書を読み進みながら、情報機関があれば、新型コロナウイルスの感染拡大も、早期に対処できたのではと思えて悔いが残る。

 新書ながら、全10章、400ページに及ぶ本書は、教訓というべき事々が述べられている。例えば、264ページの「都合の悪い情報に耳を貸さなくなってしまいがち。」などは、その代表例ではなかろうか。更に、誠に残念に思えてならないのは、第8章からの「和平・終戦を模索」であり、182ページに記される頭山満の蒋介石政権への派遣が実らなかったことである。従前、『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』という大東亜戦争遂行を反省する名著もあるが、本書はインテリジェンスという観点からの失敗を振り返るに適した一書。日本という国家を再興するには、まだまだ随分と年数を要する。しかし、後世を考え、失敗も成功も、包み隠すことなく伝え、再興を果たさなければならない。その著者の思いを是非、汲み取って、自身に何が果たせるのかを考えたい。

令和3年(2021)8月6日 浦辺登
(「浦辺登公式サイト」から再掲)

ある日突然、見慣れた景色の中から、懐かしい物が消えてしまった。そんな経験をされた方は多いと思います。世の事情と言ってしまえばそれまでですが、せめて、どうにかならなかったのか、何か遺せる手段はあったのでは・・・という後悔の念だけは残ります。 個人の力では限界がある。故に、「もっと自分の町を知ろう」という共同体を創設し、有形無形の財産を次世代につなげる。これが、一般社団法人「もっと自分の町を知ろう」という団体を設立する目的です。

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